大河ドラマで学び直せる日本史 安政の大獄とは(『西郷どん』第16話)

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『西郷どん』第16話では先週の徳川家定の死、そして紀州藩主・徳川慶福(よしとみ=のちの徳川家茂)の将軍後継者決定に伴い、いよいよ大老・井伊直弼による一橋派の粛清が始まりました。

大河ドラマで学び直せる日本史 徳川家定の実像とは(『西郷どん』第15話)

2018年4月28日

これが「安政の大獄」と呼ばれる事件です。

徳川斉昭・一橋慶喜らは将軍家定の生前に処罰

ドラマでは、徳川家定死去後の出来事として描かれていますが、実は徳川斉昭や一橋慶喜、福井藩主の松平慶永らに隠居近親命令が出されたのは、将軍家定の死去する前日、将軍が命令したということになっています。

処罰の原因は、日米通商航海条約を孝明天皇の勅許なしで締結したのは不敬だとして、直弼を詰問するために不時登城(定式登城日以外の登城)を決行。

直弼は「『不時登城をして御政道を乱した罪は重い』との台慮(将軍の考え)による」として彼らを隠居・謹慎などに処したのです。これが安政の大獄の始まりでした。

戊午の密勅

薩摩で島津斉彬が突然死去した後、朝廷工作を行っていた水戸藩に対して「戊午(ぼご)の密勅」が出されました。

この密勅には、違勅調印への怒りと説明要求、公武合体と幕府による攘夷推進の幕政改革遂行命令などが書かれていました。

これが幕府ではなく水戸藩へ渡されたということは、幕府がないがしろにされたことを意味しており、井伊直弼の危機感を煽ったのです。

またこれとほぼ同じころ、幕府側の同調者であった関白・九条尚忠が辞職させられるという事態が起こりました。

これにより老中や京都所司代が乗り出し、密勅を仲介した尊王攘夷の活動家らが逮捕されました。

粛清始まる

福井藩主・松平慶永の側近として活躍し、幕政改革を要求していた橋本左内も早い段階で逮捕され、将軍継嗣問題に介入したとして江戸で死罪となりました。

橋本左内は福井が生んだ早熟の天才。15歳で書いた『啓発録』も有名です。

詳しくはこちらのサイトをご覧ください。

早熟の天才・橋本左内 15歳で執筆した自己啓発書

彼らの逮捕を皮切りに大規模な粛清が行われ、皇族・摂関家などの貴族・武士・町人・僧侶など、一橋派や尊王攘夷派、幕府を批判した人々などが次々と逮捕されたのです。

処罰されたのは、大名クラスだけでもざっと15人。朝廷でも12人が処罰されました。

死罪になったのは14人で、一番最後に処刑されたのが吉田松陰でした。

今回のドラマでは、松陰先生は登場するのかな?

今回のまとめ

安政の大獄は、井伊直弼による一橋派の弾圧に違いはないのですが、一橋派も必死の抵抗を続け、保守派の井伊直弼にすれば許せないことを、いろいろやってしまったのです。

このため井伊直弼は「赤鬼」となり、反対派を身分にかかわらず徹底的に弾圧。

尊王攘夷の志士(特に吉田松陰)が処刑されたことで、後世、悪の権化・井伊直弼による尊王攘夷派の大弾圧だと言われますが、松陰先生も老中暗殺を叫ぶなど、手段を選ばぬテロリストでした。

要するにどっちもどっち。

憎しみに憎しみで対応すると、また憎しみが返ってくる。

日本を対外戦争から救い、今の横浜の発展を築いたとして再評価されている井伊直弼ですが、力による弾圧をしなければ、もっともっと前から「悪役」イメージは消えていたのではないかと思いました。

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