NHKの『英雄たちの選択「土方歳三”明治”に死す 盟友・近藤勇の生死を握る決断」』の再放送を偶然見る機会があり、土方さんの魅力について改めて考えてみたシリーズも、いよいよ最終回。
最終回は、土方さんのぶれない生き方と、微笑ましい趣味について紹介します。
最後まで旧幕府のために
前回は、義兄弟の契りまで交わした新選組局長・近藤勇と共に新政府軍に包囲された際、彼がどのような行動をとったかを紹介しました。
結果的に近藤勇は処刑されてしまいます。
土方さんは会津藩とともに戊辰戦争を戦いますが、あくまでも会津藩に忠誠を尽くすべきだという斎藤一とは異なり、戦う場所があるならあくまでも戦い抜くため、榎本武揚らと蝦夷地に渡り、生き残った新選組隊士とともに箱館戦争を戦い続けました。
昨年冬、五稜郭や松前奉行所、土方歳三最期の地をおとずれたので、もしよろしければ、こちらのブログもご覧ください。
京都では「鬼の副長」と呼ばれた土方さんでしたが、箱館では「温和で、母のように慕われていた」とか。
土方さんは自分の死に場所を箱館で見つけて安らかな気分になり、自分とともに戦ってくれる兵士たちの士気を挙げるため、彼らに親切だったともいわれます。
土方さんはあくまでも、箱館で戦死して、近藤勇のもとへ行きたかったのでしょうか。
司馬遼太郎さんが西郷隆盛の行動を「緩慢なる自殺」と評したように、土方さんも死に急いでいたのかもしれません。
箱館の旧幕府軍幹部の中で、戦死したのは土方さんくらい。
旧幕府に殉じたその生きざまは、一本筋が通っていてとても潔いから、土方さんは根強い人気を誇るのでしょう。
榎本武揚にしても、大鳥圭介にしても、明治新政府が欲しい技術や学問を持っているけれど、土方さんには剣しかないし、明治新政府のもとで生きるなんていう選択肢はさらさらなかったように思えます
大河ドラマ『新選組!』の続編『新選組!! 土方歳三最期の一日』には、このあたりの機微がよく描かれていて、最後は3人とも「生きるために」戦っていたのが感動的でした。
結果的に土方さんは、1869年5月11日に戦死してしまうのですが(享年35歳)。
土方さんのおちゃめな一面
剣に行き、新選組に全てをささげ、どこかストイックな面もある土方さんですが、意外におちゃめな面がありました。
まず土方さんは俳句好き。
「豊玉」という俳号を持ち、『豊玉発句集』という俳句集を自らまとめ、これは土方歳三資料館(東京都日野市)に遺されています。
当時の裕福な農民(豪農)は教育や文化水準が高く、豪農の子に生まれた土方さんも俳句をたしなむのですが、これがあまりうまくない。
「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」の句を見た時は、思わず笑ってしまいましたが、とても素直で(そのまんま)「鬼の副長」のイメージとギャップがありすぎです。
また、上京後まもなく、舞妓や芸妓からもらった大量のラブレターを故郷に送り、「報国の心わするゝ婦人哉」という句を手紙に添えて自慢していたのだとか。
新選組を大きく発展させることが最優先だった当時の土方さんですが、結構遊んでいたのかな?
それにしても、当時の美意識から見ても、色白で長身の土方さんはモテモテだったんですね。
意外なギャップが魅力になる
男女を問わず「異性の意外な一面」を見ると、胸がときめいたりすることが多いと言われます、
土方さんにもなかなか面白い一面があり、女性ファンが多い理由の1つになっていると思っています。
滅びゆく幕府に最後まで忠義を尽くした「ラストサムライ」。
あくまでも「男の美学」を貫き、剣に行きた土方さん。
そういうかっこいいイメージの中に、くすっと笑える一面があるからいろいろな歴史番組の中で実施されるアンケートの中で、常に人気ランキングの上位をキープしておられるのでしょう。
もちろん、このシリーズで紹介した「夢に向かって努力する力」「合理主義と決断&実行力」「仲間への友情」&素敵な写真の魅力があることは、いうまでもありません。
これからは、「土方さんが好きです!」と言うだけでなく、彼の魅力や長所を私も参考にして、少しでも彼に近づきたいなと思っています。
このシリーズを最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。
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