大河ドラマで学び直せる日本史 文久の改革(『西郷どん』第24話)

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前回の大河ドラマ『西郷どん』では、西郷隆盛が島流しになる物語でした。

しかし一番気になったのは、西郷隆盛ではなく、文久の改革と島津久光を巡る描写でした。

文久の改革とは

ここで、幕末の政局に大きな影響を及ぼした「文久の改革」について紹介します。

「文久の改革」とは、1862年に江戸幕府で実施された人事・職制・諸制度の改革です。

しかし改革を主導したのは幕府ではなく、薩摩藩の国父・島津久光や朝廷の公武合体派公卿らの主導による孝明天皇の勅使による圧力でした。

この圧力のもと、幕府はやむを得ず非常時体制に移行します。

改革の内容

1.一橋派の復活

若年の14代将軍・徳川家茂を補佐する将軍後見職に一橋慶喜を任命し、越前藩前藩主の松平慶永を、新設の政事総裁職(大老職にあたる)に任命。

2.京都の治安対策

尊王攘夷過激派の台頭で治安が悪化した京都対策として、今までの京都所司代の上に京都守護職を新設し、会津藩主・松平容保を任命。

3.参勤交代の緩和

それまで1年交代で、江戸と領国を往復した参勤交代を3年に1度とし、江戸に人質として置かれていた大名の正室と嫡子の帰国も許可。

4.西洋の学問・制度の導入

洋学研究を推進し、榎本武揚らをオランダに留学させ、西洋式の陸軍を設置。

この改革がなければ、一橋慶喜が中央政界に復帰し、15代将軍になることもなかったかもしれないし、新選組も、戊辰戦争での会津藩の悲劇もなかったかもしれません。

改革の影響

安政の大獄で失脚していた一橋派が復活し、「オールジャパン体制」で、国家の危機を乗り切ろうとしたのが、この改革の目玉でした。

しかし、外様大名の父(しかも大名になったこともない、無位無官の島津久光)や、朝廷の勢力により、幕府の政治改革が行われたということは、幕府の権威低下を見せつけることになりました。

英邁な一橋慶喜には、この改革はどう感じられたことでしょう。

徳川家や幕藩体制の危機を、いち早く感じ取ったのではないでしょうか。

島津久光と一橋慶喜 対立の原因

先日、神田外語大学准教授・町田明広先生の講演をお聞きする機会がありました。

その時の感想はこちらです。

「西郷隆盛とその時代 元治・慶応期を中心に」 (その1)

「西郷隆盛とその時代 元治・慶応期を中心に」 (その2)

その中で町田先生は、島津久光と一橋慶喜が対立した原因についても言及されました。

幕末の島津家研究の第一人者の町田先生によると、寺田屋事件で過激派を鎮圧し、勅使を報じて文久の改革を成し遂げた島津久光は、孝明天皇にも信任され、朝廷と幕府とのパイプ役となりますが、その存在が大きくなりすぎてしまったのです。

そのため一橋慶喜に、危険視されてしまったのだとか。

島津久光は、尊敬する兄・斉彬よりも、影響力を持ち始めてきたのでした。

それなのに大河ドラマでは、いきなり一橋慶喜に軽蔑されるし、挙句の果てには「芋」と連呼される始末(慶喜は西郷のことは「芋」と書いたようです)。

いくら無位無官の島津三郎久光でも、この言われ方はひどすぎる。

もっと島津久光を正しく評価してほしいし、このままでは、彼らの政治的立場の違いなどは、全然注目されません。

「上から目線の嫌な人(一橋慶喜)」と「田舎者(島津久光)」との感情のもつれが、倒幕に結びついたんだ!と感じた人もいるのでは?

今回気付いたこと

以前、大阪経済大学の家近良樹先生が、一橋慶喜の人気のなさを語っておられました。

島津久光も西郷隆盛の敵になったため、あまり人気がありません。

でも彼らには、彼らなりの事情や思惑があったはず。

昨年の大河ドラマ『おんな城主直虎』は、どう考えてもひどい悪人だろうと思われた井伊家の家老・小野政次やその父親を丁寧に描き、戦国時代の政治や外交の難しさ、非情さについて考えさせられました。

悪役、敵役、人気のなさそうな人物だからこそ丁寧に描けば、幕末の政治もさらに面白くなると思うのですが。

今後に期待しています。

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