沖永良部島で西郷と出会う謎の書家 川口雪篷とナポレオン

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NHK大河ドラマ『西郷どん』沖永良部島編で登場した、飲んだくれの川口雪篷(せっぽう)をご存知でしょうか。

彼も薩摩藩士なのですが、なかなかユニークな人物で、西郷隆盛ととても深い縁で結ばれている人物です。

なぜ沖永良部島にいるのか

川口雪篷は、1818(文政元)年、種子島の西之表村で、薩摩藩士の四男として誕生。

書と漢詩をよくし、陽明学にも明るい人物でした。

その彼がなぜ沖永良部島に流されたのか。

私が聞いたのは、島津久光の写字生(写本を作る人)として勤めていた時、主君の書物を質に入れて焼酎を飲んでいたことが発覚し、沖永良部島に流されたというもの。

豪放磊落な大酒呑みで、どこか世俗を超越したところもあるなと思っていました。

ところが他にも、さまざまな説があるそうです。

1.江戸居付馬廻役である父親の不始末で川口家は鹿児島に帰るが、鹿児島で罪を犯した兄に連座して沖永良部島に流されたという説。

でも沖永良部島って、与論島の次に琉球王国に近い(逆に言えば薩摩から遠い)島です。

罪を犯した当人ならともかく、連座した人が流されるのは気の毒すぎるように思います。

島津久光に「ジゴロ」発言をしたり、命令違反をした西郷とも釣り合うとは思えない。

2.罪人ではないけれども、わざわざ沖永良部へ往って西郷の書や詩作の指導をしたとする説。

この説をとると、西郷の知り合いか、もしくは熱烈なファンだったということになります。

種子島から沖永良部島の距離感を考えると、わざわざ自分から会いに行くというのは、よほどのことではないでしょうか。

3.種子島出身の田舎者なのに、島津久光の書生として重用されたことを周囲にねたまれ、罪を着せられた(川口家の子孫に伝わる説)。

江戸育ちの島津斉彬や一橋慶喜を見慣れた西郷からすれば、鹿児島育ちの島津久光は「ジゴロ(地五郎)」=田舎者ですが、鹿児島の人から見れば、種子島の人はもっと田舎者に見えるらしい。

コルシカ島出身というだけでいわれなき差別を受けたナポレオンのように、彼も差別され、挙句の果てに無実の罪をかぶせられたのでしょうか。

幕末ナポレオン伝説

ところで、大河ドラマでは、川口雪篷が西郷隆盛に、ナポレオンのことを教えていました。

西郷がアメリカ建国の父であるワシントンと並んで、ナポレオンが好きで、彼らの肖像を自宅に掲げていたというのは有名な話。

でも、川口雪篷から教えてもらったのではない、と個人的には思っています。

ナポレオンを初めて日本に紹介したのは、ゴローウニンと共に幕府に捕らえられたロシア人のムール少尉。

オランダ人は、祖国オランダをナポレオンに征服されたことを幕府に知られたくなかったため、ナポレオンのことは隠していたのですが、やがて徐々に、ナポレオンの事績が知られるようになりました。

歴史家・文人として名高かった江戸時代後期の頼山陽や、岸和田藩医で幕府天文方蕃書和解御用に任命された小関三英などにより、ナポレオンが紹介されています。

佐久間象山も、ナポレオンの事績と己の野心をオーバーラップさせた漢詩をつくったそうです。

小関三英が1838年に著した『那波列翁(ナポレオン)伝初編』は、あの吉田松陰も獄中で愛読した書物でした。

自分と同じ、一介の下級士官(下級武士にあたる?)ナポレオンが、「フレイヘイド」(自由)を掲げてイタリアを解放したことに、吉田松陰は大感激。

吉田松陰の「草莽崛起(そうもうくっき)」(志を持った在野の人々が一斉に立ち上がり、大きな物事を成し遂げようとする)へと、つながっていくのです。

これってまさに「革命」ですよね。

西郷隆盛とナポレオン

ところで西郷隆盛は、どこでナポレオンを知ったのか。

案外、蘭学好きの島津斉彬さまに教えてもらったのかもしれません。

『那波列翁伝初編』だって、もしかしたら読んだことがあるかも知れません。

でも大河ドラマでは、ナポレオンと同じような「島育ち」の川口雪篷に、肌身離さずナポレオンの伝記を持たせたり、「革命」の旗を持たせたりしていました。

川口雪篷役の石橋蓮司さんも、最初は少し恥ずかしかったようですね。

週刊西郷どん 見せもす!舞台ウラ 全身全霊で贈る『革命』の二文字」に、石橋蓮司さんのインタビューが紹介されています。

沖永良部島で終わらなかった友情

西郷隆盛より前に沖永良部島に流された川口雪篷は、西原村に住み、島の子供たちに読み書きを教えていました。

沖永良部島は政治犯の流刑地で、教養のある人物が流されることも多く、島の教育を担っていた部分もあったのだとか。

西郷とは初対面から大いに意気投合し、西原から1里弱 (3.4km) 離れた和泊の西郷の座敷牢まで毎日のように通っては、時世を論じ学問を語り、書や詩作を教えるようになりました。

酔いつぶれると昼間でも寝てしまう雪篷に、西郷が「睡眠先生」と雅号を贈ったところ、同じスイミンなら「酔眠先生」がいいですよと改めたエピソードがあるので、雪篷は本当に酒豪だったのでしょう。

「われわれ二人はどちらでも先に赦免された者が、おくれた者を扶養すること」という約束も、2人は交わしたそうです。

この約束は、のちに果たされることになるのですが、それはまたのちの機会にご紹介しましょう。

今回の気づき

吉田松陰と西郷隆盛は似ているな、と以前から感じていました。

故郷では今も「松陰先生」「西郷先生」と慕われ、熱烈な崇拝者もいて、神社に祀られています。

偉大な思想家であり、教育者でもありました。

そして「ナポレオン好き」という一面。

ナポレオンが広めた「革命」の思想を、吉田松陰は実現できなかったけれど、西郷隆盛は、江戸幕府を倒すことによって実現しようとしたのでしょうか。

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