2018年のサッカーワールドカップ(正式名はFIFAワールドカップ)は、フランスの優勝で幕を閉じました。
1カ月以上にわたってサッカーファンが熱狂し、日本代表の活躍も記憶に新しいのですが、サッカー素人の私には基本的なことがわからず、時々???と疑問に思うこともあったのです。
ここでその疑問を、一気に調べてみることにしました。
なぜイギリスのチームが多いのか
ワールドカップを見ていると、「イングランド」とか「スコットランド」(今年は出場していない)など、「イギリス」とは違う名前なのが、以前からとても不思議でした。
調べてみると、サッカーの母国という伝統的配慮から、イギリスでは4つの地域がそれぞれ独自に欧州サッカー連盟に加盟しているためでした。
他のスポーツでは、こういうことが認められているのでしょうか?
近代サッカーの誕生
そもそも本当に、イギリスがサッカーの母国なのかな?と思って調べてみると、これは事実でした。
1863年(日本では新選組や奇兵隊が結成され、薩英戦争が起きています)、ロンドンの居酒屋に、ロンドンにある12のフットボールクラブ及びパブリックスクールの代表者が集まり、「統一ルールの作成と、試合における同ルールの運用に携わる協会の設立」を目的とした会議が開かれました。
これがThe Football Association(ザ・フットボール・アソシエーション)の成立で、近代サッカーが本格的に誕生したのです。
パブリックスクールにおけるフットボールのルールから派生し発展したサッカー競技規則が現在のサッカーの原型をもたらした事実から、後に人々はイングランドを指して「サッカーの母国」と呼ぶようになったとされるのだとか。
この規則で行われた最初の国際試合は、1872年に実施されたイングランド対スコットランドの試合でした。
イギリスの正式名称の1つが「連合王国」であり、ブリテン島南部のイングランド、南西部のウェールズ、北部のスコットランド、そして北アイルランドの4つの国で構成されているため、私たち日本人から見れば「どっちもイギリス人だろう」と感じるこの試合も、イギリス人の視点から見れば、立派な国際試合だったのです。
実際、これらの地域のサッカー協会(本土4協会)はFIFA(国際サッカー連盟)よりも早くに発足し、個別に活動していました。
このサッカー競技規則は、その後幾度か改変を加えながら発展し、やがてFIFAにも採用され、世界各国のサッカーが、このルールにのっとって行われるようになりました。
FIFAの結成
1904年(日露戦争勃発の年)になると、フランスなど7カ国のヨーロッパ大陸の国々が集まり、サッカーの国際組織が結成されました。
これがFIFA(国際サッカー連盟)です。
フランス語では Fédération Internationale de Football Association
と呼ばれています(現在はスイスのチューリッヒに本部設置)。
当初はFIFAに加盟しなかったイギリス
このようにサッカーの国際化が進む中、イギリスでは「サッカーの母国」ゆえの、困った事態も発生しました。
イングランドが最強なのだから、イングランドを中心とする連合王国の本土4協会以外の弱い他国と試合をする必要が無い。
従って、イギリス以外の国との国際試合を行う為にFIFAのような機関に所属する必要もない。
このような認識が、当時イギリスのサッカー関係者の間で共有されていたのです。
FIFAは当初、原則1国1協会の加盟としていたため、イギリスの4協会は加盟せず、ワールドカップにも出場しませんでした。
これでは真のサッカー世界一を選ぶことができない!と考えたFIFAが、特例的に4協会での加盟を認めました。
強いのはいいことだ!ということで、イギリスの粘り勝ち。
現在の出場権
現在では、FIFAに参加できる主体は国またはそれに準ずる地域(一定の自治がある)であり、より厳密にはFIFAに加盟したサッカー協会を単位としています。
イギリスの場合、本土4協会が有名ですがそれ以外にも、海外領土6協会(モントセラト、イギリス領ヴァージン諸島、ケイマン諸島、タークス・カイコス諸島、バミューダ諸島、アンギラ)による計10代表チームが出場権を持っています。
中国も「中国」「台湾」「香港」「マカオ」での4代表で成り立っているんですね。
いつか中国人同士のワールドカップ決勝リーグが、実現するかもしれません。
今回の気づき イギリスの孤立主義
イギリスの孤立主義といえば、「栄光(名誉)ある孤立」と呼ばれた19世紀後半の非同盟外交政策を思い出します。
強いから群れないんだ!かっこいい!と思ったけれど、実際はアメリカやドイツの発展により優越性に陰りが見えていました。
ヨーロッパ諸国の多くが「三国同盟」(ドイツ中心)もしくは「露仏同盟」のどちらかに加盟すると孤立は深刻化し、ついに1902年、ともにロシアの南下を警戒していた日本と日英同盟を結び、「栄光ある孤立」は終わりました。
ヨーロッパ連合(EU)の前身である欧州共同体(EC)に加盟したのも遅く、国民投票の結果2019年3月までにEUを離脱することを決めるなど、イギリスは今も独自路線(孤立主義?)をとっています。
自分が強くて自信があるから、このようなことが可能なのでしょうか?
FIFA加盟の時のようにイギリスの主張が通り、孤立主義が解消されることはあるのでしょうか?
同じ島国である日本は、中国や朝鮮半島、ロシアだけでなく、遠く離れたアメリカの動向にまで注意を払わざるを得ないのですが、やはり隣接する国々と歴史的背景の違いが大きいのでしょうか?
外交問題にまで発展するサッカーの謎は、なかなか奥が深いです。
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