最初のオリンピックは大変だった! クーベルタンの理想と苦悩

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東京オリンピックまで、あと2年ですね。

前回は、「近代オリンピックの父」と呼ばれるクーベルタンが、なぜスポーツに興味を持ったのか調べてみました。

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2018年7月23日

今回は、動き出した近代オリンピックの光と影についてご紹介します。

理解されなかった理念

クーベルタンは各国のスポーツ事情を調査し、やがてスポーツを通じての国際交流や平和活動を考えるようになり、古代オリンピックの再興を目指すようになりました。

しかし最初は、誰も彼の構想を本気にせず、嘲笑や無視ばかり。

「古代ギリシアのように、皆を裸で走らせるのか?」「文明国であるヨーロッパの国々と、アジアやアフリカの人々が一緒に競技をするなんてありえない」という反応だったのです。

第1回目の開催国はどこに

やがてクーベルタンは、1900年にパリで5回目の万国博覧会が開催されると知りました。

クーベルタンは、オリンピックをパリ万博に合わせて開催しようとします。

いくらスポーツに無関心なフランス人でも、万国博覧会なら多くの人が見物に訪れるため、スポーツに触れる機会も増えるのです。

1894年、ソルボンヌで国際会議を招集したクーベルタンは、国際オリンピック委員会(IOC)設立の構想を発表し、採択されました。

クーベルタンはIOC初代事務局長に就任しましたが、さっそく第1回大会の場所でもめています。

クーベルタンはパリを希望しますが、第1回とあって希望が殺到し、ギリシアも強硬にアテネ開催を主張しました。

パリを支持する意見は少なく、結局「古代オリンピックの再興」という意味を汲んでギリシアのアテネに決定したのです。

開催国の威信をかけて

円滑な開催を目指すため、初代IOC会長にはギリシャ人財界人のディミトリオス・ヴィケラスが就任しました。

彼の提唱で、第1回大会は1896年に開催されることとなりました。

ギリシアは国内政治が不安定でストライキも勃発し、オリンピックの国民への認知度不足から、開催は何度も危ぶまれました。

財政難で資金集めに追われ、優勝者は銀メダル、2位には銅メダル、そして3位の選手には賞状が贈られたそうです。

大会期間も10日間と短かいものでしたが、国際的地位を一層向上させたいというギリシア王室の協力で、大会は大成功に終わりました。

13カ国の男子選手(このときは女子選手は不可)285名が、9種目に参加したのです。

選手の大多数が地元のギリシア人でした。

感動を呼ぶマラソン競技

クーベルタンは、古代オリンピックにはなかったマラソン競技を取り入れました。

紀元前490年、アケメネス朝ペルシア軍にギリシア軍が勝利したことをアテネ市民に伝えようと、1人の勇士が戦場のマラトンの丘からアテネまで休みなく走り続け、「わが軍勝てり」と叫んで息絶えたという伝説を知ったクーベルタンが、新しいオリンピックの象徴として採用したのです。

一部では「あまりにも過酷な競技」として、採用に反対する声もありましたが、クーベルタンは聞き入れません。

第1回アテネ大会では、マラトンの古戦場から競技場までのコースでマラソンが行われることになりました。

オリンピック最終日のマラソンでは、ギリシア選手が1位と2位を独占し、劇的なフィナーレを迎えました。

競技場で観戦していたギリシアのコンスタンティノス皇太子と弟のジョージ親王は、歓喜のあまりグラウンドに飛び下りて、1位のルイス選手と200m伴走し、この光景にクーベルタンも大感激。

優勝したルイス選手には各地から金品授与の申し出があったけれど、牧童だった彼が受け取ったのは、故郷の村の飲料水確保のための荷車と馬1頭(もしくは水を汲む権利)のみだったという話も伝わっています。

ぶつかる国家主義

第1回アテネ大会の成功を受けて、ギリシアはオリンピックを永久にアテネ開催の行事として固定化したいと考えるようになりました。

オスマン=トルコから独立戦争を経て建国されたギリシアでは、デンマーク王子が国王に据えられ、「よそ者」とされた王室の支持基盤は弱かったのです。

そのためギリシア王室は、オリンピックを政治的に利用しようとします。これはクーベルタンの理想とは相容れないものでした。

また、全ての国の選手団が国際交流に積極的というわけでもなく、スポーツを通じた交流や親善というオリンピックの理想が、簡単に実現しないことが明らかとなりました。

今回の気づき

今回、マラソン競技がいつからオリンピックに採用されたか、改めて知ることができました。

マラソンは、クーベルタンの予想通り感動を呼ぶ競技として、その後のオリンピックでも人気種目に。

しかし開催地をめぐる国家同士の対立、オリンピックの政治利用などの問題点が、すでに第1回大会から表面化していました。

感動はそのままに、そして問題点は解決するべく、今までもいろいろな努力があったことでしょう。

第32回となる2020年の東京オリンピックでは、国家間のエゴは見たくないですね。

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