2020年の東京オリンピックまであと2年!
こんな猛暑で選手たちは大丈夫なのか、国立競技場など施設は完成するのか、ボランティアは足りるのか、本当に復興五輪としての理念は実現するのかetc.
色々な問題がまだまだ続出しそうですが、節目の時期なので、このブログでも少し角度を変えて、オリンピックの話題を取り上げました。
悩める若き貴族
「近代オリンピックの父」として知られるピエール・ド・フレディ(通称クーベルタン男爵)は、1863年、パリで名門貴族の三男として誕生しました。
この年日本では新選組が結成され、薩英戦争も勃発。イギリスでは近代サッカーが成立しています。
クーベルタンが生まれた19世紀のフランスは、革命や暴動が繰り返されて政治体制が激変し、普仏戦争(1870~71年)でプロイセンに敗北するという屈辱も味わっていました。
あの『レ・ミゼラブル』のクライマックスとなる学生たちの六月暴動は、1832年でした。この後も、まだまだ混迷状態が続くのです。
このような状況の中で成長したクーベルタンは、イエズス会の伝統を受け継ぐコレージュ(中等学校)に通いました。
コレージュでの教育はかなり厳しいものでしたが、彼は成績優秀で、古代ギリシアやラテンの古典文学にも親しんでいました。
卒業後は陸軍士官学校に入学しましたが、制度改変により、軍人となった兄たちと同じ早さでの出世が望めず、軍事的な教育にもなじめなかったため、数カ月で退学してしまいます。
19世紀ヨーロッパに吹き荒れた数々の革命は、貴族という特権階級をいずれ消滅させるだろうとクーベルタンは考えていました。
だからこそ、貴族身分を受け継いだ者の最後の使命として、自分は後世に何か名を残さねばならない。でも貴族にふさわしい陸軍士官への道は、平民の進出によって閉ざされてしまったのです。
目標を見失ってしまったクーベルタンは、母方の実家(ノルマンディー地方のメルヴィル)の館で1冊の本に出逢いました。
それが彼の運命を、大きく変えることになるのです。
トム・ブラウンとラグビー校の仲間たち
彼が感銘を受けたのは、フランスの哲学者イポリット・テーヌの著作『イギリス・ノート』に引用されていた当時のベストセラー『トム・ブラウンの学校生活』。
イギリス人のトマス・ヒューズが、自分が体験したパブリックスクール(私立の全寮制エリート中等学校)の名門ラグビー校での生活を元に描いたこの小説は、1857年に刊行されると世界中で大人気となり、今でも広く読まれています。
私も小学生時代、少年少女文学全集の中で読んだ記憶がありました。
腕白でいたずら好きのトム・ブラウンの痛快な学校生活や仲間との友情、そして親友や校長の薫陶を得て、トムが成長していく姿が描かれています。
何となく、夏目漱石の『坊ちゃん』に似ている青春小説かも。
この本の中で描かれた学生生活は、クーベルタンの経験したものとは全然違っていました。
コレージュでは生徒は教師に絶対服従だったのに、ラグビー校では(特に成績が思わしくないクラスでは)生徒たちがケンカやいたずらなどやりたい放題(やや学級崩壊気味?)。
そしてラグビー校ではギリシア・ラテンの古典文学も教えますが、それ以上にフットボール、水泳、徒競走、クリケットなどのスポーツが教育活動の一環として行われていたのです。
それまで愛国者でイギリスを嫌っていたクーベルタンでしたが、この本との出逢いで、『トム・ブラウンの学校生活』にも登場するラグビー校のトマス・アーノルド校長を、「スポーツによる人格教育を実施した」と考えて心酔するようになりました。
私はフランスのトマス・アーノルドになる!
1883年、20歳になったクーベルタンは初めてイギリスへ渡り、イートン校、ラグビー校、ハロー校など名門パブリックスクールを視察しました。
パブリックスクールに好意を持つ若いフランス貴族の訪問は、各校で歓迎され、クーベルタンもラグビーの魅力に取りつかれてプレーを楽しみました。
人の成長には肉体と精神との融合が必要であると考えたクーベルタンは感激のあまり、ラグビー校にあるアーノルドの墓に参り「私はフランスにおけるアーノルドになる」と決意するのです。
実際のアーノルド校長は、必ずしもスポーツ教育に熱心だったわけでもなく、クーベルタンは多分に彼が読んだ『トム・ブラウンの学校生活』のイメージに影響されてしまったとする説もあります。
クーベルタンは、彼が受けたコレージュの知育偏重教育に元々懐疑的でしたが、このイギリス旅行により、沈滞化する祖国フランスの青少年を活性化させるには、スポーツによる鍛錬がふさわしいと考えたのです。
イギリスから帰国後、クーベルタンは父親の強い勧めで、法律学校に入学しました。
当時の貴族は、軍人になるか、法律家になるのが普通の生き方。
しかしその法律学校を、彼は1年間で退学してしまいました。
そしてクーベルタンは、スポーツによる教育改革が自分の生きる道と思い定め、フランスの教育にスポーツを取り入れていきます。
彼は各国の教育やスポーツ文化を視察し、人脈と見聞を深める中で、スポーツによる国際交流や、国際競技会の必要性を感じるようになり、これが近代オリンピックの開催へと、つながっていきました。
もし、クーベルタンが『トム・ブラウンの学校生活』を読まなければ、そして貴族としての使命を感じなければ、近代オリンピックは開催されることはなかったかも?
今回の気づき
今回、懐かしい『トム・ブラウンの学校生活』を調べていて、『ハリー・ポッター』シリーズを思い出しました。
今の子供たちは、もしかしたら『トム・ブラウン』は知らなくても、『ハリー・ポッター』からパブリックスクールのイメージを学んでいるのかもしれません。
『トム・ブラウン』が学んだ19世紀のラグビー校は男子校でしたが、1975年からは男女共学になっています。
他のパブリックスクールも、一部を除き、多くは男女共学だとか。
ちなみに、私立なのになぜ「パブリック(公立)スクール」なのかと思って調べてみると、親の出生や身分に関係ない、パブリック(一般)に開かれた学校ということでした。
一般に開かれているとはいっても、私立なので学費は高額だし、ラグビー校はネイティブ並みの英語力を生徒に求めているため、アジア人の比率はとても低いそうです。
どんな教育が現在行われているのか、見学してみたいですね。
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