陳さんと行くベルトラ1日ツアー
2018年9月16日(日)、2泊3日台南旅行の2日目は、夫がベルトラで1日ツアーを頼んでくれました。
最少催行人員4人のツアーなのでメンバーが揃うか不安でしたが、結局私たち2人の貸切りツアーになってしまいました。催行してくださって、ありがとうございました。
今日の予定は、午前中に台南中心部から少し離れた安平(あんぴん)地区の観光、そして午後からは、烏山頭(うさんとう)ダムの見学です。
どちらも公共交通機関だと行きにくかったり、時間がかかったりする場所です。でもとても行きたかった場所なので、車があってとてもよかったなと思いました。
ガイドブックになかった城
私たちがまず訪れたのは、安平地区にある億載金城。入場料は(私たちはツアー代金に含まれていましたが)1人50元でした。
地図で見ると、他の史跡とは、少し離れた場所にあるようでした。
ここは、私たちが持っていたガイドブック(るるぶ台南・高雄・屏東・澎湖島)に載っていなくて、全然知らなかった場所。
レンガ造りの城門がとても立派な城でした。創建当時、入り口には跳ね橋が架かっていましたが、今では固定された橋になっています。
この堀(護城堀)は海水を引き込んでおり、跳ね橋付近の堀の幅は22m、深さは2.3mですが、満潮時には3mにもなるそうです。
陳さんに教えられて堀をよくよく見ると、魚がたくさんいます。大きな魚はボラ、小さな魚はサヨリらしい。
日本を警戒した台湾版四稜郭
私たちはこの城も、てっきりオランダの城を基盤に建設したのだと思っていたら、とんでもない誤解でした。
台湾に漂着した宮古島の漁民が原住民に殺害された事件の処理を巡って、日本と清が対立し、日本が1874年に台湾に出兵した事件は、赤崁楼に「海神楼」を建設させるきっかけにもなりましたが、ここ安平地区には、よりストレートな影響がありました。
それは、安平の海防を強固なものにして、台湾を日本から守ること。
そのために砲台を建設することになりました。ゼーランディア城(安平古堡)のレンガと洋式赤レンガを利用して、要塞を建設したのです。
1874年に着工し、台湾初の西洋式砲台は1876年に完成。
函館の五稜郭ととてもよく似た、「四稜郭」です。
中央の広場は、1,500名の兵士が収容可能な軍事演習場。昔は広場中央に池が設置され、もし砲撃によって火災が発生した場合、池の水で消火できるようにしていました。
この白い壁は、三合土(石灰と土、砂を混ぜた土)でできています。海草も混ざっているそうです。
初めて見たアームストロング砲
西洋式の砲台なので、大砲がたくさんありました。
ほとんどが1975年に模造されたレプリカで、これは小型砲です。
こちらは唯一本物の20ポンド後装砲。砲身の後ろから砲弾を装填します。
陳さんが、「砲身にライフルの施条(腔線)がある」と教えてくれました。
初めて砲身の内部を触ってみました。本当に溝があった! 大河ドラマ『八重の桜』を思い出します。
こちらは、幕末に戊辰戦争で使用されたことで有名なアームストロング砲。
こんな特徴的な形をしていたとは、恥ずかしながら知りませんでした。
なぜだか「アームストロング砲」と聞くと、「火を噴けアームストロング砲!」と叫びたくてたまらない私たち。誰の影響なんだろう??? ここのアームストロング砲は、火は噴かなくて済んだのかな?
台湾初のアームストロング砲5門が、ここに設置されたそうです。現在はすべてレプリカでした。
兵舎と小型砲弾薬庫跡地は、遺跡を保護するために、鉄骨と安全ガラスでおおわれて保護されています。
要塞から公園へ
億載金城は、1905年から日本の台湾統治が始まると、「日本から台湾を守る」という機能を失いました。
砲台は観光地となり、料亭などが建てられたそうです。
台湾が独立し、1975年に砲台建築100周年を迎えると、大規模な整備が行われました。
高台にある砲台跡から眺めると、のんびり釣りを楽しんでいる人々の姿が見えます。
やっぱり平和が一番ですね。
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