台南の赤崁楼(せきかんろう) 台湾の国民的ヒーロー鄭成功に会いに行く

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台南のパワースポットへ!

台南シャングリ・ラ ファーイースタンプラザホテルにチェックインした私たちは、さっそく街歩きスタートです。

高雄国際空港からシャングリ・ラ・ファーイースタンプラザホテル台南へ

2018年9月22日

目的地は赤崁楼。「台湾最初の首都・台南を象徴する必見の歴史スポットです。」

と、夫が旅行準備で購入した『るるぶ台南・高雄・屏南・澎湖島』には書いてありました。

近くには寺院も多く、台南の中心部に位置する最強パワースポット巡りができそうです。楽しみ!

歩いていると、中国風の音楽を大音量で鳴らしながら走る車を発見。車体には「玉天宮」とありました。どこかの寺院の車かな? さっそくパワースポットらしさが味わえました。

成功路から赤崁街へ

私たちは台南駅前広場(シャングリ・ラの反対側)から「成功路」を進みます。信号が変わると、まるでレースのように一斉に走り出すバイクを見ると、「台湾に来たな~」と実感。

後で知ったのですが、「成功路」の「成功」は、これから訪れる赤崁楼を、オランダ人から奪い取った鄭成功(ていせいこう)のことだったのです。

かなり大きな通りなのですが、歩道はこんな感じ。ちなみに、バイク屋さんの店先ではありません。

台湾ではどこの町でも、店の軒先にバイクが停めてあり、店とバイクとの間を歩かねばなりません。

道路は段差があって、凸凹しています。とても歩きにくい。

「店の都合で、一段高く盛り上げたり、そのままにしていたりしている」。この旅行中ずっと読んでいた『台湾紀行』で司馬遼太郎さんが(1993~94年の旅)紹介した、台北の歩道と同じだなと思いました。

店先の歩道は「私」の領域で、「公共」ではないのかな? 飲食禁止であれほど清潔&快適さに心を配っている高雄のメトロとの落差がすごい!

と考えながら歩いていたら、「赤崁街」の道標。ここで左折すれば、赤崁楼です。

近くには、北京でよく見かけたレンタサイクルもありました。

赤崁楼のみどころ1 鄭成功の銅像

赤崁楼入り口です。入場料は1人50元。

入ってすぐに目についたのが、この銅像。オランダ人が、鄭成功に降伏している姿です。

元々赤崁楼は、オランダ人によって1653年に建設されたプロビデンシャ城でした。

異民族の王朝である清に抵抗を続けていた鄭成功は、父親(中国人倭寇の鄭芝龍)の持つ海上勢力の拠点として、1661年にこの城の攻略に成功。

安平にあるゼーランディア城も攻略し、オランダ勢力を台湾から駆逐しました。ちなみに鄭成功は、日本人の母を持ち(平戸で誕生)、近松門左衛門の『国性爺合戦』でも描かれた、学才と武勇あふれる人物。

司馬さんはこの像を見て、「子供っぽいのでは」と評しました。オランダ人(白人)を敗り、中国大陸の清朝に対抗した鄭成功に、当時の台湾政権を重ねていないかという理由です。

戦争画ではよく降伏の情景を見ましたが、そう言われれば、あまり銅像では見たことないかな? オランダ人の観光客は、この銅像を見たら、やっぱり面白くないでしょう。

さて、司馬さんは多分目にしなかったものが、園内土産物屋のそばにありました。

それがこの看板。鄭成功ビールや鄭成功ポテトチップスが製品化されていたのです。ちょっとびっくり!

日本にも信長や龍馬、土方さんなど、戦国や幕末に活躍した人々が商品化されていますが、台湾では鄭成功だったのですね。

赤崁楼のみどころ2 海神楼

赤崁楼の園内図です。

赤崁楼の建物と、敷地中央にある9枚の石碑。台湾で起きた反乱を鎮圧した武将を記念して、清の皇帝・乾隆帝が文章を書いた石碑で、龍の子供「贔屓(ひき)」が土台となって支えているそうです。

園内には美しい池もありました。

錦鯉がたくさんいました。橋を渡り、中国風の円形門をくぐります。

まず目の前に見えてきたのが、海神楼。

オランダ人の作った城砦を、鄭成功は「赤崁楼」と改名し。「承天府」という行政官庁も置かれました。

鄭成功の死後、残された鄭家勢力は清朝に降伏し、台湾は清朝の支配下に入り、承天府も廃止されます。

その後赤崁楼の建造物は人為的な破壊や天災で全壊し、19世紀後半に、現在のような建物が再建されたのです。

1875年に建造された海神楼。その前年の、日本の台湾出兵が建造のきっかけとなったという説があります。

台湾出兵は、1871(明治4)年、宮古島の漁民69名が台湾に漂着したものの、54名が原住民に殺害されたのに、清朝が謝罪しなかったため強行されました。台南の人々はこのような事情から、海神の加護を祈ったのでしょうか。

海神楼1階には、21歳の時、明の皇帝の姓である「朱」姓を与えられた「国姓爺」鄭成功(38歳で死去!)の肖像や、赤崁楼の歴史、改修工事の様子が展示されています。

国姓爺というから、もっと老人だと誤解していました。ちなみに「爺」とは「御大(おんたい)」や「旦那」など、尊敬語だったのですね。知りませんでした。

鄭成功軍とオランダ軍の攻防の様子が、地図に描かれていました。明日訪れる予定の、安平古堡(ゼーランディア城)が描かれています。地形の様子がよくわかりました。

オランダ人が建造した城の復元模型。こんな姿だったのですね。今と全然違います。

2階は海神楼らしく、船の模型がありました。

窓から見ると、屋根の装飾が面白い。

階段を下りて、もう1つの建物・文昌閣へ向かいます。2つの建物の間に、古い井戸がありました。

ここは昔、ゼーランディア城への抜け道となる井戸だったと信じられていましたが、1990年の調査では、そのような通路は見つからなかったようです。「真田の抜け穴」伝説みたいで面白いですね。城には抜け穴がつきもの?

赤崁楼のみどころ3 文昌閣

その奥にあるのが、1886年建造の文昌閣。

台湾知事であった沈受謙によって、教育振興を目的とし建てられたそうです。

ふと見ると、日本人の銅像もありました。

太平洋戦争中にもかかわらず、献身的に赤崁楼の修復に携わった、日本統治時代最後の台南市長・羽鳥又男さんの銅像です。優しそうなお顔でした。

2階には、学問の神様・魁星爺を祀っており、多くの受験生が参拝に訪れるそうです。

これがその学問の神様! 「他の者に先駆ける=魁=成績優秀」ということでしょうか。「鬼」という文字をかたどっているそうです。

御利益がありそうな証拠に、たくさんの絵馬?があります。私ももっと頭がよくなりたい! 真剣に祈願。

2階のベランダから見ると、オランダ時代の面影を残している稜堡部分と思われる遺構がありました。

見どころたっぷりだった赤崁楼。台南だけでなく、台湾を取り巻く国々の歴史も学べ、予期せぬ学問の神様との出会いもあった、素敵なパワースポットでした。台南に行くなら、ぜひ訪れてくださいね。

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