阪急交通社で行く初めての大台ケ原4 牛石ケ原の妖怪と、神武天皇像

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先日(2018年10月21日)、阪急交通社の日帰りバスツアーに参加して、初めて大台ケ原に行きました。

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続行かリタイアか 決断の尾鷲辻

立ち枯れの白いトウヒの木々が林立する、幻想的な正木ヶ原を過ぎ、次の見どころ、恐怖の絶景ポイント・大蛇嵓(だいじゃぐら)へ向かいます。

ただその前に、後半のハードなルートにチャレンジするかリタイアするかを各自決めなければなりません。

尾鷲辻(おわせつじ)という東屋(あずまや)のある場所で休憩後、決断です。

この場所は、三重県の尾鷲から登ってくる道と、奈良県側からの道が出会う場所だそうです。

東屋の屋根には、東西南北の方位が書かれていました。

休憩後の13:50、今後の去就を山岳ガイドさんに問われ、私たちのメンバー24名のうち1名がリタイアされ、添乗員の中林さんと一緒に駐車場へ戻られました(駐車場への道は整備されていて、とても歩きやすいそうです)。

残りの23名で、大蛇嵓やシオカラ谷などハードな場所を巡ります。

メインガイドの平加(ひらか)さんが先頭、サブガイドの山本さんが最後尾について、再び一行は出発しました。

妖怪を封じ込めた牛石

しばらく歩くと、広々と開けた場所に来ました。

牛石ケ原(うしいしがはら)と呼ばれる場所です。

昔、この辺りは様々な妖怪が出没し、修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、牛鬼という恐ろしい妖怪をここで退治。

その時退治できなかった残りの妖怪を、理源大師・聖宝(しょうぼう)という高僧(醍醐寺の開祖)が、この石の下に封じ込めたとか。

この石をたたくと、大雨になると言われています。私なら、絶対そんなことはしません。

大台ケ原で雨の多い理由を、昔の人たちはこのような伝承で説明しようとしていたのでしょうか。

牛石ケ原の神武天皇像

しかし、現在の牛石ケ原で目立っているのは牛石ではなく、熊野灘を望んで立っている、神武天皇像です。

この像を建立したのは、美濃国出身の修験者・古川嵩(かさむ)さん(1860~1930)

当時、大峰山の東に位置する大台ケ原には手つかずの森があり、一部の宗教家は、既存の霊場にはない魅力を大台ケ原に感じていました。

古川さんは1890(明治23)年の夏に98日間、翌年の12月から3か月間、単身大台ケ原に入って荒行を積み、地元の信頼を勝ち取ります。

「古川行者」と呼ばれた彼は、おおらかな自然賛美の教義を持つ、神道系の神習教(しんしゅうきょう)福寿大台教会を創立(1899年)。

そして、神武天皇が東征中(険しい熊野の山中から大和を目指しました)、海を見たのであれば大台ケ原を通ったはず。大台ケ原を開山したのは神武天皇だ!ということで、浄財を募って神武天皇の銅像を建立することにしたのです。

大阪で注文された、身長2m以上、体重(本体45t、武器など151kg)の像は6分割され、30人の人夫によってこの地点まで運ばれ、完成されました。

荷揚げに要した日数は約80日、実働数は40日だったとか。すごい難工事です。

食料の荷揚げだけでも、10人が毎日のように往復。

荷揚げ、炊き出し、資材運搬に携わった人は、1,600人に及んだと言われました。

当時の信仰心や、古川行者の信念に頭が下がります。

完成は1928(昭和3)年。彼が亡くなる3年前にできたのでした。

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