熊本県の『西郷どん』ゆかりの地 西郷隆盛小兵衛戦死の地~博愛社発祥縁起の地 

スポンサーリンク



熊本と西南戦争

2018年2月25日(日)、熊本県玉名市から熊本市に移動する途中、西南戦争ゆかりの場所がたくさんあると聞き、タクシーで巡ることにしました。

スタート地点は、玉名温泉で前日宿泊した、旅荘黄金館

ロビーで見かけたチラシには、「西南戦争鎮魂祭」の文字。

来週3月3日(土)・4日(日)に、玉名市では歴史ウォークなどイベントがあるようです。

玉名市は、来年の大河ドラマ『いだてん』の前半主人公・金栗四三(かなくりしぞう)の地元だとは知っていたのですが、今年の大河ドラマ『西郷どん』にもゆかりがあるのだと、初めて知りました。

ちなみに玉名市を訪れたのは、金栗四三のことを調べるためで、和水町も訪れました。

『いだてん』金栗四三を学ぶ旅 玉名市歴史博物館こころピア~金栗四三の生家

2019.01.13

西郷小兵衛戦死の地碑

まず目指すのは、『西郷どん』にも登場した西郷隆盛の末弟・小兵衛の戦死した場所でした。

西南の役に薩軍一番大隊一番小隊長として出陣し、2月27日の高瀬をめぐる攻防戦で、繁根木(はねぎ)川を境にして繁根木八幡宮に立てこもる官軍大部隊と激戦を展開しました。

堤防上で陣頭指揮をとっていた小兵衛は、銃弾を胸に受けて戦死(享年31歳)。

きれいな花が供えられていました。今でも地元の方に、大切にされているようです。

銃弾に倒れた小兵衛を担ぎだすために、薩摩兵たちが橋本鶴松家から雨戸1枚を貰い受け、それに乗せて高瀬川を渡り、桃田方面へ向かったそうです。

この川が、繁根木川。

堤防近くには、今も民家があります。この辺りの民家に雨戸をもらい受け、小兵衛を運んだのですね。

戦後、小兵衛夫人の松子から橋本家に寄せられた丁寧な礼状は、6通にも及んだとか。

西郷家の人々は、みな礼儀正しいなと思いました。

博愛社発祥縁起の地

次にタクシーで向かったのは、博愛社発祥縁起の地です。

これはタクシーの運転手さんに教えてもらうまで、知らなかった場所でした。

タクシーは、浄土真宗の寺・正念寺に到着。

境内を入ると、「博愛社発祥縁起の地」と書かれた石碑があり,その奥には「博愛」と書かれた碑と 西南戦争での 官軍と薩摩軍両方の戦没者菩提碑があります。

玉東町は 西南戦争の際の激戦地であった田原坂(たばるざか)に近く,ここ正念寺と徳成寺などに 官軍の野戦病院が置かれました。

激戦の痕跡

タクシーの運転手さんが、面白いものを見せてくれました。

この正念寺にも、山門に弾痕の跡があるのにびっくり!

私たちがタクシーの運転手さんと見学していたら、住職さんがわざわざ出てきてくれて、説明をしてくれました。

博愛社の歴史についても、いろいろ教えてくださいました。どうもありがとうございます。

博愛社とは

西南戦争での、おびただしい数の負傷者や死者に心を痛めた佐賀藩出身の元老院議員・佐野常民(つねたみ)。

欧州滞在時に見聞した国際赤十字社の精神にならって、敵味方の区別なく戦場で負傷した兵士を治療する 「博愛社」の設立を政府に申請しました。

しかし、“敵味方の区別なく救護する”という博愛の精神は理解されず、不許可となってしまいます。

その後、現地の征討総督であった有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王に直接設立を請願し許可を得て、 1877(明治10)年に 熊本洋学校に博愛社が設立されました。

その結果、ここ正念寺に救護所が開設され、敵味方双方の負傷兵を収容して手当てが行われました。

博愛社は、1887(明治20)年に「日本赤十字社」と改称されています。

正念寺のある熊本県玉名郡玉東町(ぎょくとうまち)全体が、赤十字発祥の地と呼ばれているそうです。

赤十字と言えば、新島八重さんも、夫である新島襄の死後、赤十字活動をしていたことを思い出します。

大河ドラマ『西郷どん』ではカットされてしまったけれど、こんなドラマもあったのだなと知りました。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です