昨年(2018年)、大河ドラマ『いだてん』に登場する重要人物・嘉納治五郎の生誕地・神戸市東灘区御影(みかげ)の御影公会堂に嘉納治五郎の記念コーナーが設置されたということを知り(設置されたのは2017年)、自宅からも近いので、訪れてみることにしました。
御影公会堂とは
正式名称は、神戸市立御影公会堂。
元々御影地区は、神戸市とは別の御影町でした。
「灘の生一本」で知られる御影町は、酒造業の他にも御影石(みかげいし)の産地としても知られ、多額納税者として貴族院議員になる町民も出現。
その御影町の集会施設として、嘉納財閥の分家・「白鶴」で知られる白嘉納家の嘉納治兵衛が多額の寄付をし、それに町費や積立金などを利用して設立されました。
施行したのは、関西の大手ゼネコンとなる大林組。完成は1933(昭和8)年でした。
古き良き阪神間のたたずまいが伝わってくるような建物ですね。
大ホール(白鶴ホール)と嘉納治兵衛
館内に入ると、まず目につくのが大ホールとその前にある銅像。
銅像は、公会堂建設に貢献した7代目嘉納治兵衛です。
全国酒造組合連合会会長にも就任しましたが、茶人としても有名で、公会堂完成の翌年には、白鶴美術館を設立しています。
大ホールは別名「白鶴ホール」。
約1,000人が収容できます。
御影町が神戸市と合併した1950(昭和25)年以降も、神戸市では最大の集会施設だったそうです。
世界で唯一・柔道着姿の嘉納治五郎像
私たちのお目当ての場所、御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナーです。
真っ先に目につくのが、柔道着姿の嘉納治五郎の銅像。
講道館の指導のもと製作された、世界で唯一となる柔道着姿の銅像だそうです。
嘉納治五郎と言えば、絶対柔道着姿だと思っていたので、とても意外。
近寄って背比べをするわけにはいきませんでしたが、やはり小柄な人だったのかなと思えました。
銅像の両脇にある四文字熟語は、嘉納治五郎が柔道の精神として唱えた「精力善用」と「自他共栄」。
彼が顧問として設立にかかわった旧姓灘中学校(現在の灘中学校・高等学校)では、この言葉が校是となっています。
「精力善用」とは、「心身の持つすべての力を最大限に生かして、社会のために善い方向に用いる」こと。
「自他共栄」とは、「相手に対し敬い、感謝することで、信頼し合い、助け合う心を育み、自分だけでなく他人と共に栄えある世の中にしようとする」。WinWinの関係と似ていますね。
「御影郷土資料室」が併設されていることもあり、
治五郎の生家の場所や、
昔、彼の実家が製造していたらしい日本酒なども展示されていました。
生い立ちを紹介したパネルもあります。
他にも彼の手紙や直筆の書(字がきれいだなと思いました)、
名言集のパネル、
メダルや著書などが紹介されていました。
まだドラマが始まるのは半年ほど先という時期だったのですが、地元では早くも期待されているようですね。
神戸っ子なら知っている?!御影公会堂食堂の魅力
嘉納治五郎記念コーナーの向かいには、食堂がありました。
営業時間は11:00〜14:00(ラストオーダー)。
残念なことに、私たちが訪れた時は午後2時過ぎだったので、食堂は準備中。
私は神戸市民ではないので、この食堂のことをあまり知らなかったのですが、どうやらこの食堂は、かなり有名みたいです。
レトロな雰囲気の中で、定番のオムライスを食べるというのが、神戸っ子の楽しみだとか。
オムライスって、子供のころから特別な時にしか食べられない御馳走でした。
いつかランチタイムに行って、食べてみたいです。
火垂るの墓の舞台
1945(昭和20)年の神戸大空襲で、御影公会堂も被災しましたが、外観はかろうじて残っていました。
野坂昭如さんの名作『火垂るの墓』にも登場します。
御影公会堂近くの石屋川沿いの緑地公園に、記念碑が立っていました。
この川沿いの道を、主人公の清太も歩いたのでしょうか。
戦災から復興し、阪神大震災でもほとんど被害がなく、地震直後から約1年にわたり多くの被災者の避難場所として活用された御影公会堂は、2017年にリニューアルオープン。
その時地下に、御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナーが開設されたのです。
嘉納治五郎ゆかりの地・御影は、いまでもなかなか風光明媚な地区です。ぜひお越しくださいね。
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