2019年2月9日(土)夕方、屋久島に上陸し、レンタル用品も借りました。
いよいよ今日は、ベルトラの縄文杉1日トレッキングツアー(明日は白水雲水峡)です。
荒川登山口からトロッコ道へ
アラームを3:30にセットして、昨夜8時頃に寝たので、余裕で起きることが出来ました。
身支度をしっかりして、長いトレッキングツアーに備えます。
レインウェアは防寒着にもなり、とても重宝しました。
ヘッドランプやスティック、4食分のお弁当もフロントでいただいて、いざ出発!
5時に迎えに来てくれたガイドの横田大洋さんの運転する車で、荒川登山口を目指します。
毎年3月1日~11月30日は終日交通規制され、屋久杉自然館から登山バスに乗り換える必要がありますが、今は2月なので、横田さんの運転する車で、標高600mの登山口まで、楽々行くことができました。
昨日の桜島みたいに、超満員バスで山道をドライブするのはご勘弁。
ここでまず朝食。このお弁当は、1,000円の方(屋久島グリーンホテル作)かな?それとも700円の方(お弁当屋さん作)かな?
とにかく暗くて、お弁当の中身もよくわかりません。ライトが必要だという意味が、よく分かりました。
食後は小屋の中で、ストックやヘッドライトの準備。ヘッドライトは頭につけず、手に持つだけでいいそうです(手に持つ方が、目指す方向に光を向けやすい)。
トイレも水洗できれいでした。洋式トイレがあったので感激!
準備ができると、横田さんを中心にツアーメンバーの自己紹介。
久留米大学医学部4回生4人組、1人参加の男性、そして私たち(一番高齢で体力なし)の計7人。
準備体操の後、登山道入り口で記念撮影し(横田さんは写真もお上手でした)、いよいよトロッコ道へ!
ツアー開始は、6:10です。目標は、けがもなく無事に、11時間でここに帰ってくること。
屋久島のトロッコ軌道
1923(大正12)年に敷設され始めた屋久島のトロッコ(正式名は安房森林軌道)は、かつては伐りだした材木や人の運搬に使われていました。
1969年に営林署による運行は終了し、現在は縄文杉コースにあるトイレのし尿運搬のためなどに利用されています。
2018年2月、トロッコ軌道全線に板が敷かれ、不揃いの枕木に躓くということもなく、格段に歩きやすくなりました。
トンネルもあります。帰りにこのトンネルをくぐると、感激して泣く人もいるのだとか。
ライトの明かりを頼りに、暗い山道を歩きます。心配していた「欄干のない橋」も、暗くて周囲の景色がわからず、何が何だかわからないまま渡ってしまいました。
大杉と小杉谷小・中学校跡
ようやく薄明るくなったところで、最初の屋久杉=樹齢1,000年以上の杉とご対面。
大杉と呼ばれています。でも横田さんに言われなければ、屋久杉と気づかなかったかも。
大杉の近くには大杉橋という、欄干のない橋もありました。
大杉もあれば、小杉もあります。これは小杉谷橋。
岩は花崗岩です。
欄干はあっても、隙間から川が見えます。やはり少し怖い。
私たちの子供時代が思い出される髪型や服装。あの頃はみな、こんな感じでした。
小杉谷集落は原生林伐採の前線基地として栄え、1960(昭和35)年頃には、540人ほどの人々が住んでましたが、1970年に伐採が終了し、集落の歴史も幕を閉じました。
ここが学校の跡地。校門やグラウンドが、今でもそれとわかりました。
そこから更にトロッコ道を進みます。
以前皇太子さまが、屋久島登山をされる(白谷雲水峡の方から入り縄文杉に抜ける予定)ということで、急遽歩きやすいように、トロッコ終点からこの学校跡まで、板が敷かれたそうです。
結局警備の問題などで、登山は中止になりましたが、トロッコの板にはこんな理由があったのですね!
線路沿いには切株更新、倒木更新などの木がたくさんありました。
木々の密集する森では陽のあたる場所もなく、倒木や伐採の痕は新しい世代が育つ格好の場所で、屋久島の森ではこの「更新」が多くみられます。
普段自分たちで山を登っていると、杉の木があるのはわかるけれど、あまり切株更新や倒木更新などを意識することがありません。
屋久杉に詳しいガイドさんと一緒に登っていて、とてもよかったなと思いました。
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