『いだてん』金栗四三と女子体育の真実 2年1組金栗先生!女学生との絆

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今日(2019年6月2日)放映された大河ドラマ『いだてん』では、アントワープ五輪で敗退(と言ってもちゃんと完走し、16位でした)した金栗四三(かなくりしそう)が、新しい目標に向けてチャレンジする姿が描かれていました。

新たな目標とは、女子体育を盛んにすること。

そのため彼は新しい職場に赴任するのですが、『いだてん』はフィクションの部分も多く、必ずしも金栗四三の人生とは一致しません。

真実の金栗四三と、女子体育とのかかわりを紹介します。

勤務先は東京女子師範

ベルリンで戦災にも負けず、スポーツを楽しむドイツ婦人たちのたくましさに感動した金栗四三。

女子体育の振興のため、帰国後赴任したのは、東京府立女子師範学校(小石川区竹早町 後の東京学芸大学)。

ちなみにドラマで「竹早」と紹介されていたので、私の敬愛する緒形拳さんや山下達郎さんの母校・東京都立竹早高等学校の前身・東京府立第二高等女学校かと思っていたのですが、全然違う学校でした。

女子体育の必要性を説く金栗四三に、恩師の嘉納治五郎が「ここならば」と推薦してくれたのが、東京女子師範だったそうです。

1921(大正10)年から、金栗四三は府立女子師範に勤務しました。

金栗四三、お転婆クラスの担任に

金栗四三の生涯を記した名著『走れ25万キロ マラソンの父金栗四三伝』(長谷川孝道著)に、楽しいエピソードが紹介されていました。

東京府立女子師範の高橋校長から、金栗四三に託されたのは2年1組40人の女学生。

丙午の生まれというわけでもないでしょうが、とにかくお転婆で、先生方も手を焼いていたそうです。

四三も新しいクラスの生徒たちに興味があったし、お転婆女学生たちも、新しい担任がオリンピック選手の金栗四三だと知って大喜び。

さっそく歓迎の儀式を、彼女たちは準備しました。

金栗四三が教室の戸を開けると、黒板消しが落下! 生徒たちは大爆笑です。

でも金栗四三は知らん顔で教壇に立ち、チョークの粉をはたきもせず、いきなり出席を取りました。

当時はみな「さん」付けで呼ばれていたのに、彼は生徒を呼び捨て。

度肝を抜かれた生徒たちが元気に返事をすると、もう金栗ペースになり、さっさと地理の授業が始まったそうです。

金栗先生の地理の授業は面白い!

新任の金栗四三先生が、驚いたり怒ったりするのを楽しみにしていた女学生たちは、あっさり授業が始まってしまったのにびっくり。

もし先生が怒ったりしたら、更にヤンヤの喝采を浴びせて困らせてやろうと思っていたのに(かわいいですね!)、完全にペースを崩されてしまいました。

それに、金栗四三の授業(ヨーロッパの地理)が面白い!

過去に2度もヨーロッパの現地を見た金栗四三の話はとても面白く、教科書にはない話もあり、とても実感がこもっていたそうです。

ドラマではまだ地理の授業をやったところを見たことがない(私が忘れているだけ?)金栗四三ですが、実際は体験に基づく楽しい授業をなさっていたのですね! 生徒たちがうらやましいです。

さすが仏の金栗先生! 女学生のファンが激増!

魅力的な講義で40分の授業時間はあっという間に過ぎ、一段落したところで初めて四三はニコッと笑い、

「お前がたはなかなか元気がいいな。私はお前がたのようなお転婆娘が好きだよ。」と褒め、

「私には何も遠慮なんかせんでいいけれど、気の小さい先生だったら大変なことになるぞ。これからは、他の先生方に向ける情熱は、全部私一人に集中しなさい。今日ぐらいの悪戯なら大いに結構。なおかつ馬力が余ったら本を読み、勉強しなさい。そして外へ出て走り回るんだ」と諭したのだとか。

これが女学生のハートをがっちり捉えたようですね。

「素敵だわー、金栗先生!」という声、拍手と歓声。

黒板消しをセットした実行犯の女学生も名乗り出て、金栗四三の頭や顔についたチョークの粉をはたき始めたそうです。

「われらのパパ」

これ以来、女学生たちは金栗四三を「われらのパパ」「金栗パパ」と呼び、とてもなついたそうです。

他の先生たちの時には相変わらずやんちゃでも、金栗先生の時は真面目になり、少しずつ成績も向上したとか。

授業が終わると金栗先生は率先してグラウンドに飛び出し、今日は陸上競技、明日はテニスと、女学生に初歩の初歩から指導しました。

羽織袴に金栗足袋を履いた女学生たちは、楽しそうに飛んだり跳ねたり。

時折熊本弁が混じる金栗先生のコーチングに、絶えず笑い声も起こったそうです。

女子テニス大会への逆風を吹き飛ばせ!

金栗四三が女学生に体育を指導し始める以前、女学生の体育と言えば、春野スヤさん(後に金栗四三の妻になる女性 ドラマでは綾瀬はるかさんが熱演)も楽しんでいた自転車乗り。

『いだてん』ゆかりの地を訪ねて 金栗四三の墓と、晩年暮らした池辺家

2019年5月12日

日本女子大学の運動会(非公開)も人気だったようですが、一般的にはまだまだ女子の体育に対する風当たりは強く、学校同士の対抗競技なども開かれていなかったそうです。

その中で金栗四三は、東京市内の女学校が参加する女子テニス大会を構想するのですが、

「女の子に対抗意識を植え付けたらどうなります。第一しとやかさがなくなる。お嫁に行って旦那さんに対抗意識を燃やされたら大変なことになる」という反対意見も根強かったのです。

そこで金栗四三たちは、女子テニス大会当日、皇族の女王殿下のご臨席を仰ぐことを計画。

女子学習院で体育主任をやっていた学生時代の先輩の尽力があり、当日は竹田宮、伏見宮、梨本宮など女王殿下がしずしずと入場し、金屏風をめぐらしてご観戦。

また、文部省普通学務局長も列席し、この大会の快挙を称える挨拶をしました。

これでマスコミも好意的に報道し、女子テニス大会は大成功となりました。

アスリートだけではなかった金栗四三

『いだてん』の主役となった金栗四三ってどんな人かな?と調べてみると、実に八面六臂の活躍をしていることに驚かされます。

日本初のオリンピック選手、マラソンの父という側面がとりわけ有名ですが、駅伝を創始したり、女子体育に力を注いだり(しかも逆風を跳ね返す)など、なかなかのアイデアマンだと思いました。

『いだてん』でも登場した箱根駅伝 ゆかりの地にミュージアムも!

2019年5月26日

創意工夫、先見力、広報宣伝(マスコミの活用)、企画力、組織作りなど、経営者としても、今でも十分成功しそう。

黎明期のパイオニアは、多かれ少なかれそういう面があるのかもしれませんが、いろいろな人を巻き込んで、大きな渦を巻き起こしていく金栗四三には、やはり人間的な魅力があったのかもしれません。

「仏の金栗」「笑顔のお釈迦さま」と呼ばれた金栗四三。

今後ドラマではどう描かれていくのか、ますます目が離せませんね!

よろしければ、他の『いだてん』関係ブログもお読みください。ありがとうございました。

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