『いだてん』にも登場する二階堂トクヨ 女子体育に捧げたその半生とは?

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大河ドラマ『いだてん』は、6月放映分から女子のスポーツにも焦点を当てていますが、女子のスポーツと言えば、絶対に避けて通れない人がいます。

その人の名は、二階堂トクヨ。

『いだてん』でも脇役として登場し、寺島しのぶさんが演じておられます。

かなりはっきりとした物言いで、主人公の金栗四三(かなくりしそう)や、時には自分の恩師にも厳しい批判をする女性として描かれています。

実際の二階堂トクヨの人生は、どのようなものだったのでしょうか。

先日、『現代に生きる「すてきな女性」二階堂トクヨ』(不昧堂)を読む機会があり、彼女の人生について、いろいろなことがわかりました。

体操教師にはなりたくなかった?!トクヨの転身

1880(明治13)年、宮城県に生まれた二階堂トクヨ(金栗四三より11歳年上)は、福島県師範学校を卒業し、1年間小学校で教員を務めた後、1900(明治33)年、東京女子高等師範学校に入学。

文科に入学し、体操(当時は「体育」ではなく「体操」)の時間は体調にかこつけて、よくさぼっていたそうです。

ところが卒業後の1904(明治37)年、国語の教師になるつもりで赴任した石川県立高等女学校で、体操科を担当させられることになってしまいました。

大嫌いな体操を手探りで教えているうち、トクヨは自分自身の体調がよくなってることに気が付きます。

食欲が出てよく眠れ、すごく元気になったのです。

こうしてトクヨは、体育がいかに人間として生きる力になりうるかを悟り、文部省の講習に出席したり、キリスト教女性宣教師からスウェーデン体操とドイツ体操を組み合わせた体操の指導を受けるなど努力し、体操教師として広く認められるようになりました。

1911(明治44)年から、母校である東京女子高等師範学校の助教授に任命され、翌年10月、体操科研究のため、2年間のイギリス留学を命じられます。

この時期はちょうど、金栗四三が初参加のストックホルムオリンピックで惨敗し(完走できず)、帰国した直後でした。

トクヨはロンドン近郊にある全寮制のキングスフィールド体操専門学校に入学し、生涯の師オスターバーグと出会います。

そして様々なスポーツはもちろん、生理学・心理学・解剖学なども学び、またサウスウェスタン・ポリテクニック体操専門学校で「女らしい体操」(ダンス)と水泳を学びました。

こうしてトクヨは、留学前と大きく変わった新しい体育観をもって帰国したのです。

恩師との決別

1915(大正4)年、帰国したトクヨは、再び東京女子高等師範学校で教壇に立ち、体育指導者の養成を始めます。

しかしイギリスで最新式の体育を学んだトクヨは、徐々に東京女子高等師範学校で教えを受けて以来の恩師・永井道明との間の体育観の相違に気づくことになりました。

永井は日本体育界の重鎮であり、当時の学校体育の基本方針「学校体操教授要目」の作成にも携わっています。

しかし彼の指導法は、スウェーデン体操のドリル的な反復練習に重点を置いており、トクヨの重視するダンスには無理解でした。

近代化を急ぐこの時代は、ともすれば体育軽視の風潮も生んでおり、トクヨはそうした偏見を打破するためにも、新しい時代にふさわしい、優れた女性指導者養成が急務であると考えたのです。

雑誌でマラソンを批判

女子体育振興のため、トクヨは1921(大正10)年、『わがちから』という雑誌を創刊し、当時の体育やスポーツに関するトクヨの見解を発信し始めました。

その年の12月号社説欄には「世界の大勢を見よ」として、国際的競技会(具体的にはオリンピック)におけるマラソンについてのトクヨの見解があります。

マラソンは、確かに日本国を代表する競技ですが(金栗四三は当時から有名)、国際競技会の考えは、あまりにも強度で残酷、その上野蛮だとみているという主張。

金栗四三が初参加したストックホルムオリンピックのマラソン競技では、ポルトガルのラザロ選手が死亡し、大きな問題になっていました。

「世界運動界の大勢はもはやマラソン競技を重要視していないことが明らかだ、しかして、その重要視しない理由もまた甚だ切なるものである。(略)『女子においてことに然り』と付言しておく」という文章からは、『いだてん』のドラマと同様、マラソンに対しての厳しい批判がうかがえますね。

二階堂体操塾の設立

トクヨの理想とする女子体育指導者の養成は、自らが奉職する官制教育機関では不可能であると決心したトクヨは、翌1922(大正11)年、職を辞して東京・代々木に二階堂体操塾を設立。

その時トクヨは41歳。資金難でのスタートです。

学校は全寮制で、普通の学校で3年かけて教員を養成するところを、体育専科とはいえ1年で行うので、かなりのハードスケジュールだったそうです。

しかも塾設立当初から、体育だけでなく広く一般教養、生理学・心理学・解剖学など体育と関係のある科目、武術に美容レッスンなど、「女らしい教育」が目指されていました。

トクヨの結婚観

トクヨは生涯独身を貫きました。

「日本女子体育のために英国留学を命じられ、私には多大な国費がかかっている。結婚の申し込みや奨めも多々あったが、目的を達成するには二足の草鞋を履くことは不可能であろうと思い、一つの道を選んだ。」

と、後にトクヨは塾生に語ったそうです。

生徒たちには最初、「女性はよい子孫を残すことが天職。良い相手があったら結婚しなさい。」と勧めていましたが、やがて「女性は必ずしも結婚する必要はなく、自立した生活を考えることも必要。」と諭すようになったとか。

今も昔も変わらないなと思いました。

やがてトクヨの塾に、逸材が現れます。その人こそ、あの人見絹江なのですが、ドラマではどんな風に描かれるのでしょうか。楽しみですね。

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