今日(2019年9月29日)、NHK大河ドラマ『いだてん』で、嘉納治五郎が亡くなりました。
彼は兵庫県出身なので、ゆかりの地を見学したこともあります。
でも彼が亡くなった場所は、偶然訪れたのでご紹介しましょう。
横浜港の名所 日本郵船氷川丸
それが2018年3月31日、家族で訪れた横浜港に浮かぶ氷川丸でした。
実は氷川丸のことは聞いたことしかなくて、立派な船が係留されているな、見学できるのかな、と思って近づいてみると、氷川丸だったのです。
正式名称は、日本郵船氷川丸。
全長163m、幅20mの大型船で、北太平洋航路で長らく就航してきた船です。
まだアメリカなど海外に行くことが特別だった時代、サービスの良さが評判を呼び、著名人を含む多くの賓客で賑わったそう。
1930(昭和5)年4月、昭和恐慌真っただ中、氷川丸は竣工しました。
豪華な船内設備
昭和恐慌の時に竣工した船内ですが、さすが国際航路で活躍した船です。豪華な内装でした。
船内に入ってみましょう。
アールデコ調の素敵な船内は、当時の美意識でしょうか。
一等船客専用のダイニングサロン(食堂)です。1937年10月4日の秩父宮両殿下のための特別ディナーが再現されていました。下がメニュー表です。
嘉納治五郎も、ここで食事をしたのでしょう。
その上の階にあるのが、一等社交室。こちらは主に女性の社交室という性格。
一方男性の方は、こちらの一等喫煙室で、上質のお酒やたばこを飲みながら、カードゲームなどをしていたそう。
客室に見る格差
一等客室です。
嘉納治五郎も、こういう部屋で過ごしていたのでしょうか。
こちらは一等特別室。
秩父宮ご夫妻とか、チャップリンなどが利用したそうです。
浴室付き!
部屋も広そうです。
そして忘れてはならないのが、三等客室の存在。タイタニック号同様、最低料金で海外へ渡る人たちもいました。移民たちだったのでしょうか(画像は氷川丸の公式サイトより)。
三等客室のあるエリア(船の底の方)は、一等やツーリストクラス(二等)の船客エリアと区別され、自由に行き来することはできませんでした。
航海のための設備
客室だけでなく、乗組員が働くエリアも見学できました。
ここは機関室。
船の最上部にある操舵室は、大人も夢中になります。
運転士(現在の航海士)が24時間体制で船の安全を守る場所。
素敵な磁気羅針儀。欲しいな~。
操舵室の後ろにあるのは、無線室。
モールス信号ですよ! これを覚えなければならなかったのですね。
操舵室から一番近い場所にあるのが、船長室。何かあった時にすぐ対応できる場所です。
公室兼寝室です。
ヤマトの艦長室を思い出すなぁ。
操舵室と会話ができる伝声管。これも時代を感じます。
船の屋上デッキからは、港の景色がよく見えました。
嘉納治五郎の最期
嘉納治五郎は、1938(昭和13)年、カイロで行われたIOC総会に参加しました。
嘉納治五郎らの必死の工作や説得もあり、ひとまず東京開催の方向で進むこととなり、昭和15(1940)年の札幌での冬季オリンピック開催も正式に決定しました。
東京大会返上をなんとか踏みとどまらせることに成功した嘉納治五郎でしたが、IOCカイロ総会の帰りの船中で風邪を悪化させて肺炎となり、昭和13(1938)年5月4日に亡くなります。
嘉納治五郎の突然の死は、国内外に大きな衝撃を与え、特にオリンピック関係者や柔道関係者は、嘉納治五郎(一番右の人物)の死を大いに哀しみました。
彼の死により、東京オリンピック返上論が急速に高まっていくことになるのです。
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