2019年8月10日(土)。前日ブハラに到着した私たちは、朝食前に、ホテルの近くを観光することにしました。
早朝はとても涼しくて(上着が欲しいくらい)、快適に観光できました。早朝観光はお薦めです。
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
最初に見学したのは、ホテルのすぐ向かいにある、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。
メドレセというのは神学校のこと。でもとても門の装飾が美しく、華やかです。
2羽の鳳凰が(中央アジアにもいた!)、爪で白い鹿をつかみ、太陽に向かって飛んでいます。
そして中央に描かれているのは、(ややわかりにくいですが)人間の顔! イスラムの教義に反していますが、中央アジアでは寛大だったのかな。
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ
ラビハウズの西側にある、壮大な建物がナディール・ディヴァンベギ・ハナカ。
池を挟んで、ちょうどナディール・ディヴァンベギ・メドレセとは対面する形になります。
ハナカとは、聖職者たちの集合住宅。
現在内部には入れませんが、正面の装飾がとても美しかったです。
カラーン・ミナレットとカラーン・モスク
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカから、カラーン・ミナレットを目指します。
旧市街のメインストリートを最初は歩きますが
こんな所も歩きました。
やっと到着。これがカラーン・ミナレット。
カラーンとは「大きい」という意味で、ブハラで最も高い(高さ約46m)ミナレット。街のどこからでも見える、ブハラのシンボル的存在だそうです。
ミナレットは、14層の異なる積み方をしたレンガによって装飾されています。頂上にある灯火用の窓の下だけ、青色のタイルが帯状に使われています。
美しいだけでなく、ブハラの街が壊滅した大地震にも耐え、チンギス=ハンにも破壊されなかったという、すごい歴史があるのです。
以前はミナレットに登れたようですが、現在は登ることができません。ちょっと残念。
18~19世紀には、この塔の上から袋に詰めた死刑囚を投げ落として処刑していたそうです(怖)。
ミナレットと繋がっているカラーン・モスクは、ソ連時代は倉庫でしたが、独立後はまた例拝所として再開されているそうです。
ミル・アラブ・メドレセ
カラーン・ミナレットに面して建つ神学校です。
今でも現役の神学校で、内部を見学することはできません。試験で選ばれた学生が住み込みで勉学に励んでおり、教育年限は7年だそうです。
タイルがとても美しい! こんな美しい学校で学べるなんて、うらやましいなと思いました。
アルク城
最後に訪れたのが、アルク城です。
この辺りは、古代ブハラ発祥の地なのですが、13世紀には、この城に立て籠もった多くの人々が、チンギス=ハンの軍隊に虐殺され、城も破壊されました。その後も破壊と再建を繰り返した城なのです。
今残っている城は、18世紀に建てられたもの。
歴代ブハラ=ハンの居城となりました。すごい城壁です。
残念ながらまだ見学時間ではなく(朝食前の散歩なので)、遠くから眺めただけで帰りました。
城内は広大で、1つの街が形成されているとか。またいつか、行くことがあるかな?
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