2019年3月30日(土)~31日(日)、明智光秀の生誕地を訪ねる旅に出ました。
訪れるのは岐阜県の恵那市と可児(かに)市。いずれもあまりなじみのない土地です。
最初の30日は、まず恵那市を訪れました。
光秀の妻・熙子ゆかりの妻木城跡
昼食後、次に訪れたのは妻木城跡。
ここは岐阜県ですが恵那市ではなく、土岐市妻木町です。
城跡に行く前に、公民館で妻木城に詳しい地元ガイドさんと合流。妻木城址の会会長で、妻木八幡神社の禰宜・黒田様です。
まずは公民館に併設されている郷土資料室を見学し、その後妻木城へ向かいました。
妻木城は、土岐氏支流の明智氏の祖となった土岐頼重によって築城されたとも伝えられ、同じく土岐氏支流の妻木氏の居城となりました。
光秀の妻・熙子さんも、幼少時にはこの辺りで遊んでいたのでしょうね。
ところで熙子さんは、光秀の最初の妻ではないかもしれないとのこと。大河ドラマではどう描かれるのか、楽しみです。
明智光秀が敗死し、坂本場が落城すると熙子さんの関係者は自害。しかし残った一族の妻木頼忠は、関ヶ原の戦いで東軍に味方し、家康から改めてこの地域を所領として与えられました。
やがて山城では生活が不便となったため、山麓にある妻木城士屋敷が政庁となっていきました。
現在建物は残っていませんが、標高409mの城山山頂に、城は築かれていたそうです。ちなみに、午前中訪れた明知城は、標高530mの山に築かれました。
妻木城跡の方が、石垣の保存状態は良さそう。
城をテーマとしたバスツアーなどで、多くの方々が訪れるそうです。
雨が降りそうだったので、妻木城の山頂には登れませんでした。ちょっと心残り。
私たちが観光できるのも、妻木城址の会員の方々による草刈りボランティアのおかげなんですね。
祟禅寺(そうぜんじ)
次に訪れたのは、歴代妻木城主の菩提寺である祟禅寺。
臨済宗妙心寺派で、創建は妻木城を築いたとされる明智氏初代の土岐頼重とされています。
上の写真は山門です。黄色い壁が、とても印象的でした。
この山門は、妻木城士屋敷から移築されたものだそう。
禅宗寺院というだけあって、石庭も見事ですね。
なかなか格式のある、美しい寺でした。
特別拝観で入った建物の中は撮影できなかったのですが、あの人気予備校講師(今でしょ!の)林修先生の祖父・日本画家の林雲鳳(はやしうんぽう)が描いた天井画のある部屋などがありました。
これが妻木氏一族の墓。
妻木城の城主として、7,500石を所領とした旗本妻木氏ですが、当主が嫡子なく急死したため、三代で廃絶してしまいました。
蔵や山門の上には、妻木氏の祖である土岐源氏の桔梗の家紋が残っていました。
この後、流鏑馬(やぶさめ)神事で有名な妻木八幡神社を訪れたのですが、雨が酷くなり、いい写真も撮れませんでした。
恵那市観光協会前に帰ってきたのは17:00頃。車のない私たちには、公共交通機関だけでは不便な場所も訪れてくれるこのバスツアーは、とても貴重なものでした。
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