細川幽斎(藤孝)ゆかりの地は舞鶴にも!
2020年1月19日(月)、『麒麟がくる』主人公の明智光秀の盟友にして、光秀の娘・細川ガラシャの義父になる細川藤孝(ふじたか 隠居して幽斎と名乗る)ゆかりの地である宮津を訪れました。
その後2020年6月7日(日)、今度は西舞鶴駅から「あかまつ」という列車に乗る計画を立てたとき、西舞鶴周辺にも、細川幽斎ゆかりの地があると知りました。
舞鶴というと、どうしても「海上自衛隊」や「海軍さん」、はたまた「岸壁の母」(古い?)とか赤レンガ倉庫などのイメージが強いですが、細川幽斎のことは今まで知りませんでした。
舞鶴の細川幽斎、一体どんな感じなのかな?と期待しながら、大阪から日本交通バスで西舞鶴へ!
大阪なんばOCATから西舞鶴まで大人1人2,300円。2時間弱で到着です!
西舞鶴駅構内でよくわかる細川幽斎
初めて訪れた西舞鶴駅前。
駅前にそびえるのは舞鶴城(ぶがくじょう)別名田辺城の物見櫓。移設されているそうです。
今回西舞鶴駅を訪問したのは、京都丹後鉄道の「あかまつ」号に乗るためなので、まずは駅で切符を購入。
普通は切符を購入したらもう駅に用事はないわけですが、この駅はちょっと違っていました。
駅構内に、細川幽斎の紹介パネルがどーんと展示してあるのです。
なかなかの迫力だし、結構詳しそう。
大河ドラマで取り上げられると、注目度が高まると言われていますが、それを実感できました。
地元の人達の愛が溢れています。
興味はあるけど時間がない!という人には、駅構内のこの展示だけでも十分満足できるのではないでしょうか。
細川幽斎が隠居生活を送った田辺城
明智光秀の盟友であり、部下でもあった細川藤孝は、丹後宮津城で本能寺の変を知りますが、上役である光秀の再三の要請を断り、隠居・剃髪して「幽斎」と名乗り、光秀の味方にはなりませんでした。
そして隠居生活を送ったのが、駅から近い田辺城。
城下町らしく、こんなマンホールもありました。
現在城跡は、舞鶴公園となっていました。この城壁の中です。
立派な城門(大手門)。
こんなキャラクターがいたとは! 「ゆうさいくん」というゆるキャラでした。
公園内は花も咲いていて美しかったのですが、ここは花より細川幽斎。
細川幽斎関係の展示がある、田辺城資料館に入ってみました。
イケメン細川幽斎にびっくり!
大人1人200円の入館料を払って、館内に入ってみました。
いきなりイケメン細川幽斎!いや、まだ若いから藤孝さまですね!
なんとなく、大河ドラマ『麒麟がくる』の眞島秀和さんに似ているような気もします。
これは本能寺の変後、味方にならないかと誘ってきた明智光秀の書状(複製)。
細川幽斎はもともと光秀より身分も高く(光秀は彼の家臣だったという史料もあり)、信長に早く仕えた(早く公方様=足利義昭を見限った)光秀のほうが出世し、逆に細川幽斎は彼の部下に成り下がってしまったので複雑な感情があり、光秀の陣に加わらなかったという説もあります。
それに何より、彼には「細川家を残す」という究極の目標がありました。
これが細川幽斎と妻の肖像画。厳しい戦国を耐え抜いた2人です。
今の平和な世の中を、彼らはどう思っているかな?(資料館の2階から見た舞鶴の町並みです)。
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