弘前名物の1つは「洋館」だった!
2020年12月29日(火)、フジドリームエアラインズを利用して、初めて青森県を訪れました。
最初の目的地は、弘前市。
津軽地方の中心で、りんごと弘前公園の桜が有名な城下町です。
でも弘前市滞在初日に夫が目指したのは、弘前市にある洋館の数々。
青森に詳しくない私には、なぜ港町でもない弘前に、洋館がたくさんあるのか不思議でした。
調べてみると、津軽藩の城下町として栄えた弘前は、明治維新後「学都・弘前」を目指して外国人教師を招いたため、教会や洋館が多いのだとか(空襲もなかったようですね)。
弘前と洋館。最初は結びつかなかったけれど、変化に対応しようとした弘前人の努力の賜物だったのです。
旧藤田家別邸
最初に訪れたのは、旧藤田家別邸。
弘前駅からは100円バスで市役所前から降りると便利です。
初めてみた弘前の洋館! まるで外国の街角。
赤い屋根がアクセントになっていて、弘前名物のりんごを思い出させます。
1921(大正10)年に建てられたのだとか。この色から絶対石造建築だと思っていたのですが、なんと木造モルタル2階建て!
内部は無料で公開されていました。
大正浪漫喫茶が併設されているようですね。時間があれば、ここでお茶を飲みながら、美しい庭園を鑑賞するのもいいでしょう。
部屋の中央に置かれているこのピアノは、ドイツのベヒシュタイン社製。
昭和初期に輸入されたうちの1台ですが、関東や関西に売られた仲間は戦災で失われたものが多く、とても貴重なのだとか。
洋館の主 藤田謙一とは
この洋館は、弘前市出身で日本商工会議所初代会頭の藤田謙一によって建てられたもの。
洋館の一角に、藤田謙一の資料室もありました。
藤田謙一は日本史の教科書には記載はありませんが、東京で法律を学んだ後大蔵省に入り、その後実業界で活躍した人物。
帝国火災保険(後の日本興亜損害保険)や日本活動写真(日活)、広島瓦斯電軌(現 広島電鉄や広島ガス)の社長などを務めています。
後に鈴木商店の顧問にも迎えられ、関東大震災後の東京復興にあたったことでも有名な政治家・後藤新平の信頼も得ました。
後藤新平との写真もあります。
1926(大正15)年、53歳で東京商業会議所の第3代会頭となり、1928(昭和3)年には日本商工会議所の初代会頭に就任。
藤田育英社の創設、弘前市公会堂の寄付など、多くの育英事業や寄付行為でも、社会に貢献したそうです。
今年大河ドラマの主役となる渋沢栄一とも、よく話をしていたのでしょうか。
藤田記念庭園
洋館だけでなく、この館の庭園(藤田記念庭園)も見どころがありました。
普段なら大人320円かかるのですが、冬場だったのでなんと無料!
一面銀世界の庭に、キャリーケースを引きながら入っていくのは、ちょっと申し訳ない気分になりました。
1919(大正8)年、藤田謙一が東京から庭師を招いてつくらせた、江戸風の庭園なのだそうです。
雪囲いは雪国の冬ならではの風物詩。
洋館が有名ですが、和館もありました。
庭園の中心部には、立派な枝垂れ桜の木。
東北地方においては、あの世界遺産・平泉の毛越寺庭園(岩手県)に次ぐ大規模な庭園なのですが、冬場は開放区域も限定されていました(だから無料?)。
この庭園をじっくり見学したければ、やはり通常開園の時期に訪れた方がいいかも知れませんね。
ちなみに2020年度の冬期間は、11月24日~翌年3月31日とのことでした。
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