『麒麟がくる』ゆかりの地・亀岡 完成直前の光秀像と亀岡城址

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2019年4月13日(土)、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀ゆかりの地、福知山を訪れました。

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せっかく丹波まで来たのだから、ついでに亀岡も行くことにしました。

亀岡にも、明智光秀が築いた城があるのです。

行くのが少し早かった! 明智光秀の銅像は完成間近

JR亀岡に到着すると、江戸時代に「心学」の開祖となった石田梅岩の像がお出迎え。

亀岡生まれの思想家で、様々な宗教・思想の真理を材料にして、身近な例を使ってわかりやすく忠孝信義を説きました。今でも企業道徳の一環として、影響を与えているようです。

サンガスタジアムは、まだ建設中でした。まさかここに、大河ドラマ館ができるとは。

そしてもう一つ、建設中だったもの。それが

明智光秀の像でした。これには本当にびっくり! 大河ドラマ効果かな?

完成した像の姿については、こちらをご覧ください。

丹波亀山城を背に立つ明智光秀像。ぜひいつか見てみたい。ちょっと行くのが早すぎました。

像の周辺は「南郷公園」、城の北側です。

明智光秀の顕彰碑も発見!

城跡らしく、桜がとても風情がありました。

この辺りには「保津門」という門があったようですね。

亀山城は丹波支配の中心地?

光秀がこの亀岡市に築いた城は、亀山城と呼ばれています。

この地を「亀山」と命名したのは、光秀ではないかという説もあります。ちなみに明治になるまでこの地はずっと「亀山」でしたが、明治初期、伊勢にあった亀山(シャープ亀山工場で有名)との混同を避けるため、「亀岡」と改名しました。

「口丹波(くちたんば)」と呼ばれたこの地は、丹波の中でも特に都に近い重要拠点。

丹波攻略中から光秀は築城に取り掛かり、丹波の他の城と違って、堀や土塁などで城下町をぐるりと囲む総構えがあったそうです。

亀山城は丹波支配の中心であり、本能寺の変を起こしたときも、光秀は亀山城から本能寺に向かいました。

幻の亀山城 受難の歴史

亀山城は光秀の滅亡後も存続し、徳川家康はこの城を重視し、大改修を行いました。

縄張り(城の設計)を務めたたのが、「築城の名手」と評価の高い藤堂高虎。

新しい亀山城は、本丸に五重の層塔型天守を擁する城となりました。

今の亀岡市役所の8階部分の高さに相当するとか(以上2点の写真や図は、亀岡市文化資料館『26回特別展光秀・亀山城・城下町』図録より)。

しかし明治になって廃城となり、新興宗教団体である大本(おおもと)が購入して整備。

1935(昭和10)年、政治活動を活発化させる大本に対し、政府は徹底的な弾圧を開始し、翌年ダイナマイトで徹底的に亀山城址の教団施設を破壊してしまいました。

戦後城の所有権は再び大本に戻り、現在でも、亀山城址を見学するためには、大本の本部で見学を申し込む必要があります。

詳しくはこちらをご覧ください。

亀山城址を見学

初めて大本の教団施設に入りました。

とにかく広くて美しい。清浄感もあります。神道系のためか、天理教の本部と少し似ているかな?

でも天理教本部に比べて、人があまりいない。福知山のお城祭りの賑やかさとは、好対照でした。

受付で手続きをし、「ギャラリーおほもと」の見学と「万祥殿」でのお祓いの後、いよいよ亀山城址の見学です。

ここが入り口。

今は大本の聖地「天思郷」となっているので、聖地に対する礼儀を持って拝観しましょう。

ダイナマイトで破壊された城の石垣は、教団によって修復されています。

光秀時代の石垣はどれかな?

福知山城と同じように、野面(のづら)積みという、自然石をそのまま積み上げている方法です。

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あちこち見て回りたかったのですが、

あちこちに「立入禁止」の柵や

立て札があります。私達も、石垣に光秀時代を忍びつつ、帰ることにしました。

これは大本で頂いた資料です。やはり現存していたらすごいお城だったのですね。

コロナ禍が落ち着けば、大河ドラマ効果もあって、私達が見ることができない場所も今後見学できるのではないかと思えました。

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