白河法皇を悩ませた、日吉大社の神輿 僧兵が嫌がらせで都に放置
平安時代の後期、院政を開始したことで知られる白河法皇。
個人的に日本一のわがまま君主と思っています。特にNHK大河ドラマ『平清盛』で伊東四朗さんが演じた白河法皇は、イメージにぴったりでした。
その白河法皇でも思い通りにならなかった「天下三不如意」が「鴨川の水、双六の賽、山法師」。
山法師とは比叡山延暦寺の僧兵のことです。
延暦寺はこの時期から、大勢の僧兵達による強訴(ごうそ)をしばしば行っています。
デモを行って自分たちの要求を押し通そうとするイメージでしょうか。
仏法によって国家や皇室を守護するはずの比叡山延暦寺が、あろうことか朝廷の権威と衝突し、都の治安を乱すというのは、今までの感覚からすると「ありえない事件」でした。まさに世も末と思ったでしょう。
僧兵たちが利用したが、日吉大社の神輿(みこし しんよ)。神の乗り物です。
2011年6月、比叡山延暦寺(東塔エリア)と日吉大社の西本宮を参拝し、
東本宮へ向かっていた私達は、大きな神輿が展示されているのを見つけました。神輿収蔵庫です。
僧兵たちが強訴に使った神輿も、こんな感じだったのでしょうか?
祭りの日でもないのに、そして祭りの日のルートではない平安京へ、神がやってくる!というのは、当時の貴族社会では大変な異常事態! まっさきに「祟り」がイメージされるのもわかります。
そして山法師たちは、要求が聞き入れられない場合、この重そうな神輿(現在の山王祭で使われている神輿は、約1トン!)を都に放置することもあったそう。
こんな重い神輿、しかも触ったら祟りがありそうな神輿が、道の真ん中や家の前に置かれていたら嫌ですよね!
結果的に、僧兵の要求が通ることが多かったそうです。
僧兵の横暴が貴族による武士の重用に繋がり、やがて武士の世の中になっていきました。
東本宮に参拝
日吉大社の東本宮にも、たくさんの社がありました。
これは樹下(じゅげ)神社かな? 小さいけれど美しい建物です。祭神は鴨玉依姫神(かものたまよりひめのかみ)。
東本宮拝殿と、奥に見える本殿です。
本殿を横から見たところ。三方に庇(ひさし)を張り巡らされた特徴的な建築スタイルは「日吉造」と呼ばれ、全国でも日吉大社にしか存在していない重要なものだそうです。もちろん国宝。
ちゃんと写真には撮影できませんでしたが、西本宮の本殿も、同じ建築様式です。こちらも国宝。
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)。この比叡山を守護する山の神です。
東本宮一帯は、大山咋神とその家族を祀るエリアで、樹下神社に祀られている鴨玉依姫神は彼の妃神でした。
八王子山の惨劇 明智光秀軍はいたのか?
元々の日吉大社は、八王子山の磐座(いわくら 信仰の対象となる岩)に天降ったとされる山の神を祀るために建てられました。
天智天皇の大津京遷都により建設された西本宮とは違い、東本宮が本来の日吉大社。
そして八王子山は、日吉大社の奥宮です。
1571年の信長による比叡山焼き討ちでは、坂本周辺に住んでいた僧侶や僧兵、そして住民たちは八王子山に立て籠もりました。
しかし坂本方面から侵攻してきた信長軍は、彼らを焼き殺したと言われます。
比叡山焼き討ちによる犠牲者の数には諸説ありますが、山の神が降臨したという聖なる八王子山が、惨劇の舞台になったのは間違いなさそう。
比叡山焼き討ちを率先して行ったという明智光秀は、八王子山にも進軍していたのでしょうか。
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