愛宕神社の黒門に見る神仏習合の名残
2019年2月17日(日)、京都市右京区にある愛宕神社に参拝するため、愛宕山に登りました。
京都市で最高峰の愛宕山山頂(標高924m)に鎮座する愛宕神社は、全国に約900社ほどあるという愛宕神社の本社で、火伏せ・防火に霊験あらたかな神社。
そしてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でもうすぐ描かれる本能寺の変直前、明智光秀がここに参拝し、おみくじを引いたり連歌の会を主催したりしたと言われる神社です。
山麓の天気とは打って変わって雪となり、慣れない雪の山道と苦戦しながら、やっと愛宕神社の黒門に到着した私達。
とても立派な門ですが、昔は「白雲寺」という寺の門だったのです。
ちなみに上は、昨年秋に撮影した、京都八坂神社の楼門。これと比べると愛宕神社の黒門は朱色じゃないし、左右の随身(ずいじん 護衛の武官)がいなかったり。やはり神社の楼門とは全然違っていますね。
実は平安時代初期、愛宕神社に「白雲寺」という寺が建立され、神と仏が融合します。
神仏習合と言われる信仰の形態で、日本の神々は、仏が仮に神の姿をとったものとみなされました。
愛宕山の神も「愛宕権現(あたごごんげん)」と呼ばれ、祭神の1人・女神のイザナミノミコトは、実は地蔵菩薩の化身とされていたのです。
明智光秀の「愛宕百韻」ゆかりの場所
愛宕神社の神の正体は、地蔵菩薩。
でもよく路傍にある可愛い「お地蔵様」ではなく、勝軍(将軍)地蔵という勇ましいお地蔵様なのです。
修験道を開いた役小角(えんのおずぬ)と泰澄(たいちょう)が愛宕山に登った時、龍樹菩薩や毘沙門天などの仏を従え、2人の前に現れたのだとか。
明智光秀が信仰したのは、防火の神ではなく、この勝軍(将軍)地蔵でした。
勇ましい武将の仏と女神が一心同体とは。北欧神話のワルキューレみたいでかっこいい。
それはともかく、愛宕山は「白雲寺」として発展し、境内には大きな6つの宿坊がありました。
本能寺の変直前の1582(天正10)年5月24日、明智光秀が連歌の会を主催したのが、その1つ「威徳院」です。
一体どこだったのかな?
明治の神仏分離令の後、白雲寺は破却されて「愛宕神社」となり、宿坊も今は全く残っていません。
この広い境内のどこかに、威徳院はあったのでしょうか?
ちなみにこれは現在の社務所。こんな立派な建物だったのかな?
愛宕百韻 明智光秀の発句の謎
さて、本能寺の変直前に催された明智光秀主催の連歌は「愛宕百韻(ひゃくいん)」と呼ばれ、記録に残っています。
その連歌の発句(第一句)は光秀が詠んだ「ときは今 あめが下しる 五月かな」。
「土岐氏である自分が天下を取るべき五月である」と解釈されていますが、普段あまり親しくない人々も混じっている連歌の会で、こんな重大な決意を堂々と発表するかな? ちょっとセキュリティーが甘すぎるのでは?
一緒にいた人々は、どんなリアクションだったのでしょう。
「今は梅雨時で、雨が滴っている五月です」と、季節感ばっちり漂う句を光秀が詠んだと感じたのでしょうか?
それとも「??? でも信長様に忠実な明智殿のことだし。まさか、ね。」と、疑念を振り払ったのでしょうか?
光秀の発句については、書き直されたものだとする説もあり、謎は深まるばかりです。
次回はいよいよ、愛宕神社本殿に参拝です。お楽しみに。
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