『麒麟がくる』ゆかりの地・備中高松1 備中高松城主・清水宗治最期の地

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秀吉が援軍要請を出した城

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』最終回の山場となった本能寺の変は、そもそも秀吉が援軍要請を出さなければ、起こらなかったのではとも考えられます。

その援軍要請が出されたのが、岡山市の備中松山城。ドラマでは少しだけ描かれて、軍師官兵衛も登場したのでした(ちょっともったいなかった!)

2013年6月に訪れた時の様子をご紹介します。

ちょうど梅雨の合間で、水攻めが行われていたときもこのような感じかなと思われました。

歩いてわかる平坦さ

備中高松城への旅は、JR吉備線(桃太郎線)備中高松駅からスタート。

駅から出ると、早速備中高松城主・清水宗治が出迎えてくれました。今でも人気のようですね!

城までは徒歩で10分ほど。

歩いてみてわかったのですが、本当に高低差のない道でした。

レンタサイクルにも最適だと思います。

最初に見えてきたのが、長さ64mの舟橋。

今はしっかりした橋ですが、昔は船を並べて橋をつくり、場内へ退去するときには舟を撤去して敵の攻撃を防いでいました。

石垣のない土塁だけの城ですが、城の周囲の低湿地帯が天然の堀となっていて、堅固な守りになっています。

清水宗治自刃の地 妙玄寺

城に行く途中、妙玄寺という寺院がありました。

この辺りは、城の二の丸跡と言われています。

ここは備中高松城主・清水宗治が切腹をした場所。

ただし寺の建物の中ではなく、水の上で切腹という壮絶な最期でした。

毛利家への忠義を全うした清水宗治

清水宗治は毛利軍の中でも忠誠心の篤い武将として知られ、秀吉から「降伏すれば備中・備後2カ国を与える」という条件を出されたけれど断固拒否。

難攻不落の備中高松城にこもり、徹底抗戦。その間に毛利の援軍が来ると睨んでいました。

落城寸前の城に毛利の援軍が赴き、秀吉も信長に援軍を要請したわけです。

これが本能寺の変を招き、事件をいち早く知った秀吉は一刻も早く明智光秀を討って主君の仇討ちをする必要に迫られました。

秀吉は、何も知らない清水宗治に対し、城主の命と引き換えに城兵を助命するという講和条件を提示。

宗治もこれを承諾し、その2日後、舟の上で兄弟や重臣らと共に切腹したのです。

清水宗治の壮絶な最期

よく考えてみると、安定性の悪い揺れる舟の上で切腹なんて、よほどの覚悟がないとできないのでは?

昔、『のぼうの城』という映画をテレビで見たのですが、野村萬斎さんが舟の上で踊っているのに、ただ感心するばかりだったのを思い出しました。

そういえばこの映画も、水攻めを描いていますね。秀吉の備中水攻めをお手本にして、忍城の水攻めをする話でした。

境内にある清水宗治の供養塔。

水が引いた後、ここは寺になったのかな?

切腹の日清水宗治は、秀吉の用意した小舟に乗り込み、舞を舞った後(!)「浮世をば 今こそ渡れ武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句を詠み切腹したそうです。

妙玄寺の近くには「ごうやぶ」という遺跡もありました。

宗治らが切腹するので、家臣たちもそれを追って互いに差し違えて亡くなったという場所です。

秀吉や軍師官兵衛らの活躍の陰に、こんな悲劇もあったのでした。

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