血洗島は渋沢だらけ! 17軒の渋沢家
少子化の影響もあり、今の日本人には「親戚」が減っているそうです。
また親戚がいても遠くに離れている場合が多く、兄弟姉妹とは行き来があっても、その次の世代になると、いとこ同士でもあまり顔を合わせたことがない、という場合も珍しくなくなっているとか。
しかし、NHK大河ドラマ『青天を衝け』血洗島編に登場する渋沢栄一の周辺は、ほとんど親戚ばかりです。
村の各地に渋沢家(豪農のため、名字帯刀を許されていたそうです)が17軒もあるため、「渋沢」だけでは見分けがつかず、栄一の家はその位置から「中の家(なかんち)」と呼ばれていました。
村で最も裕福だった宗助の家(「東の家(ひがしんち)」)や、いとこの喜作の家「新屋敷」も、渋沢姓です。
近くにいる親戚同士の人間関係はこじれるとややこしいのですが、ドラマを見るとどうやら皆、いい関係を維持していたようですね。
同志・渋沢喜作
渋沢喜作は、栄一より2歳年上のいとこです(喜作の父・文左衛門は栄一の父の兄)。
尊王攘夷の志に燃える栄一と常に行動を共にし、テロ未遂事件を起こした後も、栄一と2人で京都へ逃れ、共に一橋家に仕官しました。
逃避行の間に吉原にも行き、京都滞在は長引きます。「豪農の坊ちゃん」なので、最初は高級旅館に滞在し続けるという無謀なこともやっていました。
いっぱしの志士気取りで西郷隆盛らと会食などもしているうちに資金が尽き、2人で25両もの借金をしてしまったことも。
西郷隆盛や桂小五郎は、所属する「藩」のために会食しているわけで、いわば藩の「外交官」。会食費用も藩から潤沢に出るでしょう(今なら会社の接待費かな?) でも個人でそれをやると、大変ですよね。
ちょっと背伸びした2人は、一橋家で超節約生活を送り、見事借金完済!
共に一橋家で才能を発揮して出世していきますが、栄一が経営手腕を発揮したりフランスに派遣されたりするのに対し、喜作は将軍となった徳川慶喜のもとにとどまり、彰義隊の頭取になっていきます。
後に栄一同様実業家となり、米の取引や生糸の輸出などで、横浜経済界に重きをなしました。
隣村のいとこ・尾高家の人々
一方、栄一のおば(栄一の父・市郎右衛門の姉)やへは、隣村の尾高勝五郎に嫁ぎました。
尾高家も裕福な農家だったようですが、渋沢家から見ると財政状態がやや気になるようで、ついつい渋沢家は尾高家の財政に介入(アドバイス)したそうです。
すると嫁のやへと舅・姑との仲が悪くなり、やへは実家に戻ってしまいました。
その時、幼い妹や弟たちを慰め、母を説得して連れ戻したのが、尾高家の長男・新五郎。
新五郎は、栄一より10歳年上のいとこでした。
再び家族揃って暮らせるようにした新五郎の行動を、栄一の父・市郎右衛門は高く評価し、新五郎に栄一の教育を任せることになったのです。
後に、あの世界遺産・富岡製糸場の初代場長になり、彼の娘さんは、工女第1号として志願したとか。
また、新五郎の弟・長七郎は、栄一より2歳年上のいとこで、大柄な上に腕力もあり、剣術においては非凡な才能を発揮した人物。
『青天を衝け』では、少年時代の栄一や七郎麻呂を演じた子役が話題になっていますが、長七郎を演じた子役も、とても印象的でした。
剣術家になる夢を抱いて江戸でも修行をし、栄一の「命の恩人」ともなった人物ですが、思わぬ事件に巻き込まれてしまいます。
栄一より1歳年下のいとこ・ちよは、後に栄一の最初の妻になる女性。幼馴染で気心も知れており、2人の結婚は皆にとても喜ばれました。
栄一より7歳年下になる尾高家の末弟・平九郎は、背が高く文武に優れた美男子として、近所でも有名だったそうです。
後にパリに派遣される栄一の養子となるのですが、幕末に思わぬ運命が待ち受けます。
彼らの活躍が、今後どのようにドラマで描かれていくのか、楽しみですね。
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