HISで高遠城址の桜と善光寺御開帳ツアー3 絵島囲み屋敷 今に残る大奥の悲劇と謎

スポンサーリンク



2022年4月9日(土)出発のHISバスツアー

信州産あま~い3種のいちご狩り食べ放題♪嬉しい2名様1室でも同料金♪七年に一度の善光寺前立本尊御開帳と天下第一!高遠のコヒガン桜2日間

に参加しました。価格は2人分で43,960円と破格の安さ。

HISで高遠城址の桜と善光寺御開帳ツアー2 高遠城址公園 春爛漫の桜に合戦とゆかりの人をしのぶ

2022年4月15日

HISで高遠城址の桜と善光寺御開帳ツアー1 多賀SAと恵那峡SAの知られざる魅力

2022年4月14日

大奥女中・絵島の悲劇

高遠に行くと聞いたとき、どうしても行きたい場所がありました。

それが「絵島囲み屋敷」。

「絵島生島事件」と呼ばれる江戸城大奥の一大スキャンダルのヒロイン、絵島(えじま 「江島」とも表記)と呼ばれた女性(本名は「みき」)が幽閉された場所を復元したものです。

甲府藩士の娘として誕生し、江戸で育った彼女は甲府徳川家の御殿女中として奉公。やがて甲府藩主・徳川家宣(いえのぶ)が徳川綱吉の死後6代将軍に就任したため、彼女は江戸城大奥に入りました。

彼女は7代将軍家継の生母(家宣側室)・月光院に仕え、その右腕として御年寄(おとしより)に就任。独身キャリアウーマンのトップになったわけです。きっと才能ある人だったのでしょう。

ちなみに「御年寄」というのは、「老中」に相当する役職で、大奥の万事を取り仕切ります。年収はざっと今の4,000万円とも! 幕末、篤姫に仕えた瀧山も将軍付きの御年寄でした。

『英雄たちの選択スペシャル 大奥贈答品日記』 知られざる瀧山さまの素顔

2019年6月16日

1714(正徳4)年、絵島は月光院の名代として、前将軍家宣の墓参りのため他の奥女中らと寛永寺や増上寺へ参詣。その帰りに幕府御用達の呉服屋から、芝居小屋・山村座で観劇するなど接待を受けました。

観劇後には茶屋で宴席も設けられ、絵島らはお酒を飲み、山村座の人気役者・生島新五郎も参加したとも言われるなど、かなり大掛かりな接待だったようです。絵島にすれば、普段外出できない奥女中たちへの慰労会に過ぎなかったのかもしれません。

ところが絵島らが大奥の門限(午後6時)に遅刻したことから、大規模なスキャンダルに発展。

絵島は生島新五郎との密通を疑われ、拷問にかけられましたが自白はしませんでした。「死罪を減じての遠島」との裁決が下りましたが、将軍生母・月光院の嘆願で、高遠藩に預けられたのです。

彼女の異母兄の旗本は斬首(監督不行き届と収賄)、弟は重追放(15カ国立入禁止)、拷問により密通を自白した生島新五郎は三宅島へ遠島、山村座も廃されるなど、厳しい処分となりました。一説によると、処罰された関係者は1,500人、追放された奥女中は300人とか。

この事件は、幼い将軍を擁する生母・月光院や「正徳の治」を進める側近の新井白石(朱子学者)&間部詮房(側用人)と、彼らに反発する前将軍の正室・天英院や譜代幕閣などの派閥争いが影響していると言われます。

幼い将軍が万一実子を残さなかった場合の後継者を巡っても、新井白石や間部詮房と、天英院や譜代幕閣は対立していました。ちなみに天英院派が支持したのが紀州藩の徳川吉宗。新井白石らは尾張藩の徳川継友を推しました。

天英院派の人々が、月光院や新井白石ら将軍側近の勢力を弱めるため、絵島の単なる門限破りを「大奥御年寄の密通」という大スキャンダルに仕立て上げ、彼女たちを大奥から追放したのでしょう。

厳しい幽閉生活を送った屋敷

目的の「絵島囲み屋敷」は、高遠城址公園外の伊那市立高遠町歴史博物館の敷地内に復元されています。

元々の場所は、ここから徒歩30分程の、城下からかなり離れた場所(非持村火打平)でした。

絵島が主人公の映画『大奥』(絵島は仲間由紀恵さん、生島新五郎は西島秀俊さんらしい。個人的には本田博太郎さんの新井白石が気になります)

の人気のためか、多くの観光客がいました。

玄関には番人の詰所。

下女の詰所には、絵島に許されたこと、許されなかったことが図で紹介されていました。酒・菓子・タバコの禁止や木綿の質素な衣類着用はわかるとして、筆や紙を渡すことも禁止されていたのが本当に謎。

絵島の部屋。彼女はここで、33歳から27年間過ごしました。書くのは禁じられましたが、読経は許されていました。また、信仰していた日蓮宗の寺院(蓮華寺)に行くことも許されていました。

後で地図で調べてみると、このお寺に行くには、徒歩で片道約50分。幽閉生活ではいい運動になったかも。

一応バストイレ付きですが、普段の生活については、少しマシな座敷牢という感じでしょうか?

この格子戸は「はめ殺し」の、開閉できない窓。

厳重な忍び返し。一体誰が、忍び込んでくると思っていたのでしょう?

彼女はなにか、重大な秘密をつかんでいたのでしょうか? 昔読んだ半村良の『妖星伝』に、そのような記述があったことを思い出しました。

徳川吉宗が将軍に就任して7年経つと、彼女に対して囲い屋敷周囲の散歩が認められます。藩主らの厚意で月に数回登城し、城の奥女中たちのしつけ指導もしていたとか。少しは待遇が良くなったようで、よかったです!

大奥女中なら当然のことですが、彼女も大奥のことは一切語らず(高貴な人のプライバシーを言いふらしてはいけない)、謎多き61歳の生涯をここで終えます。

囲み屋敷には、彼女や生島新五郎のお墓や縁の地についての情報もありました。

それにしても、彼女に紙と筆記用具が与えられなかったのが、とても気になります。今の時代、自由に発信することに慣れている私には、「文字を書けない」ということが、とても辛いものに思えました。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。