HISで高遠城址の桜と善光寺御開帳ツアー5 善光寺御開帳その1 御印文頂戴と前立本尊参拝

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2022年4月9日(土)出発のHISバスツアー

信州産あま~い3種のいちご狩り食べ放題♪嬉しい2名様1室でも同料金♪七年に一度の善光寺前立本尊御開帳と天下第一!高遠のコヒガン桜2日間

に参加しました。価格は2人分で43,960円と破格の安さ。

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定円坊・木藤さんの軽妙なガイドで忠霊殿へ

リゾートインマリオンシナノを8:00に出発したバスは、途中で美しい犀川(さいかわ)の風景(1985年にスキーバスが転落した事故もありました)や

小田切ダムを見ながら

9:10頃善光寺に到着しました。

案外早く到着したのでびっくり!

善光寺では9:10~12:15の自由行動となりました。しかし完全に3時間ほどフリーかというとそうではなく、到着するとすぐ、定円坊(善光寺の宿坊の1つ)の木藤さんがテキパキと指示をし、最初の説明&案内をしてくれます。

最初に御朱印帳をまとめて預かって、御朱印を頂いてくれるというのは、とてもありがたいサービスでした。御朱印帳は集合時、バスの前で渡してくれます。この御朱印が頂けました。

これで時間が有効に使えますね。

最初に案内されたのが、忠霊殿という、戊辰戦争からの戦死者英霊を仏式で祀った建物でした。

額を揮毫したのは、ロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で壊滅させた東郷平八郎元帥(左側に署名あり)!

ここの1階にある部屋で、善光寺の成り立ちや御開帳、ご本尊のことなどを、木藤さんが教えて下さいました。

彼は、ながのよしもとふるさと劇団にも所属しているようで、語りはとても面白くて退屈しません。

講談など「語りもの」と呼ばれる芸能の多くが、僧侶の語りから派生していることが実感できました。

鎌倉時代に作られたというご本尊の分身(まったく同じ姿)・前立本尊(まえだちほんぞん)のパネル写真も撮影できて、ちょっと嬉しい。

中央が阿弥陀如来、両脇侍は観音菩薩(右)と勢至菩薩(せいしぼさつ)。これが7年に1度、今人々の眼の前に現れているのです。

本堂外陣での「御印文頂戴」と前立本尊参拝

次に案内されたのが本堂。本堂内部は一切撮影禁止でした。

まず外陣(げじん)と呼ばれる本堂内部外側エリアで「御印文頂戴(ごいんもんちょうだい)」を受けることができました。

「御印文」というのは、善光寺のご本尊と同じ、閻浮檀金(えんぶだごん)で作られていると言われる善光寺の宝印。閻浮檀金(えんぶだごん)というのは、「竜宮城随一の宝物」という黄金です。

つまり、竜宮城の黄金で作られた善行寺ご本尊の分身ともいうべき善光寺の宝印を、僧侶が参拝者の頭に押し当ててくれるという儀式なのです。

このありがたい御印文を頂戴すると、極楽往生が約束されるのだとか。なんとありがたいこと。

木藤さんの案内で、あまり待たずに私も頂戴することができました。

「御印文頂戴」は、普段なら1月7日~15日までの限定された期間しか行われませんが、御開帳の時期は1日中(9:00~16:00)受けることができます。

善光寺山門の御開帳執行を告知する高札には「御印文令頂戴(ごいんもんちょうだいせしむる)者也」とあり、前立本尊、回向柱と共に御開帳参拝の中心の一つなのがわかります。

御印文頂戴が済むと、そのまま外陣で、遠くから前立本尊を参拝。

内陣から前立本尊を参拝し、「お戒壇巡り」を希望する(チケット必要)人々の行列がものすごかったので、早々に内陣は諦めて本堂の外へ出ました。

絶対秘仏の善光寺ご本尊を見た人が!

ところで、竜宮城の黄金で作られていると言われる善光寺のご本尊は、天竺・百済を経て日本に渡来したという日本最古の仏像。

仏教に反対する物部氏に迫害され、難波の堀江(今の和光寺のあみだ池)に捨てられたこのご本尊を、役人だった本田善光が信濃に運んだのが善光寺の始まりだそうです。

和光寺あみだ池の場所は、上の地図を参考にしてください。

654年からご本尊は絶対秘仏とされ、善光寺の住職ですらその姿を見ることはないのだとか(本堂の一番奥・瑠璃壇の厨子に安置)。

ところで、この絶対秘仏を江戸時代に見た人がいると知ってびっくり!

実は(今でも密かに囁かれていると思うのですが)「善光寺のご本尊は存在していないのでは」という説が、江戸時代に広まっていたらしいのです。

元禄期には「我が家に伝わる仏像こそが善光寺のご本尊だ」と主張する人物まで現れ、世間を騒がせていました。

そこで側用人・柳沢吉保が上野寛永寺の僧侶を派遣し、厨子を開けてご本尊を目視させたそうです。

記録によると阿弥陀三尊像の他、煤けた仏もあったとか。どうやらご本尊は実在しているようですが、これが善光寺のご本尊を見たという唯一の記録のようです。

善光寺と柳沢吉保の知られざる関係

善光寺のご本尊が寛永寺の僧侶によって目視された事件から8年後、本堂再建という幕府の特命のもと、柳沢吉保の甥や娘が善光寺に入りました。

そしてその7年後、柳沢吉保の甥・慶運により本堂が再建されました。これが今も残る本堂です。

本堂が今の地に建つ前は、仲見世通り中央西側にある「如来堂旧地(にょらいどうあとち)」に、善光寺のご本尊が安置されていたのだとか。

旧地には、本堂落成の5年後に延命地蔵が造立されています。今の像は戦後に復興されたもの。

それにしても、善光寺のご本尊の存在を厨子を開けて確かめたり、親類縁者を送り込んで本堂再建に努めたりなど、柳沢吉保(というか幕府中枢部)と善光寺の深い関係の一端を知ることができました。やはり善光寺はすごい寺院ですね!!

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