鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅3 鶴岡八幡宮の鳥居と参道・畠山重保供養塔 

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鎌倉駅前の鳥居

2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。

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次の目的地は、鎌倉有数の観光名所・鶴岡八幡宮です。鎌倉駅からは、徒歩10分ほどです。

鎌倉駅を東口方面から出て、若宮大路へ向かうと

すぐに鳥居が見えてきます。これが鶴岡八幡宮の二の鳥居。八幡宮には、この道をまっすぐ行けばいいのです。こちらが「表参道」になります。

ちなみにこちらの、小町通に続く道にも、駅を出るとすぐ鳥居がありますが

よく見ると鳥居には「鶴岡八幡宮」ではなく「八幡宮近道」と書かれています。こちらは、地元の商店街有志が1960年に鶴岡八幡宮の許可をもらって建てた鳥居。

この鳥居から始まる小町通の商店街は、鶴岡八幡宮への正式な参道ではないのですが、「裏参道」としてとても賑わっていました。

若宮大路と段葛

鶴岡八幡宮の表参道は、若宮大路と呼ばれています。

源頼朝が京都の朱雀大路を参考に、また当時懐妊中の妻・北条政子の安産祈願のために造った直線道路。

頼朝自ら熱心に造営を指揮し、北条義時ら御家人たちにも土を運ばせたのだとか。

特に二の鳥居からは、若宮大路の中央が、一段高くなっていました。

これは、段葛(だんかずら)と呼ばれる歩道です。

これは京都や奈良など、他の町には見られない光景ではないでしょうか?

段葛は、遠近法によって実際の距離よりも道が長く見えるように、二の鳥居から鶴岡八幡宮に行くにしたがって、道幅が狭くなっているそうです。後で知ってびっくり!

ちなみに上の写真は、一番道幅が狭そうな箇所でした。日本では遠近法は、江戸時代に西洋絵画の技法が伝わってから絵画で使われるようになったようですが、その遥か昔に、都市計画で使用されていたのは面白いですね!

段葛の終点にあるのが、三の鳥居です。

由比ヶ浜の悲劇! 一の鳥居のそばに建つ畠山重保の供養塔

実はこの段葛、昔はもっと長かったようなのです。

若宮大路を鶴岡八幡宮の反対側、由比ヶ浜の方向へどんどん進んでいくと、白い石の大きな鳥居が若宮大路に建っています。これが鶴岡八幡宮の一の鳥居。

昔は一の鳥居から続いていた段葛ですが、鉄道(横須賀線)建設のため、一の鳥居から二の鳥居までの間は撤去されてしまったそうです。

余談ですが、鎌倉は踏切がとても身近にある街なのだなと思います(写真は大町周辺のJR横須賀線)。あちこちに踏切がありました。

一の鳥居近くの西側歩道にあったのが、畠山重保(はたけやましげやす)邸跡と供養塔でした。こちらは小さな供養塔。

下の大きな石塔が、畠山重保の供養塔。市内でも大型の宝篋印塔で、室町時代に建てられました。

畠山重保は、『鎌倉殿の13人』で活躍中の畠山重忠と北条義時の妹との間に生まれた嫡男(ドラマでは今お腹の中にいます!)。

3代将軍実朝の時代に初代執権となった北条時政の孫息子にあたりますが、牧の方(時政の後妻)の娘婿・平賀朝雅と酒の席で喧嘩になってしまいました。

また、武蔵国の国司として勢力を伸ばそうとする平賀朝雅やその背後にいる北条時政は、武蔵国を本拠地とする大豪族の畠山重忠(坂東武者の鑑と言われ、人気もありました)と、武蔵国の支配をめぐっても対立。

畠山重忠・重保父子に謀反の心ありと平賀朝雅が訴えると、北条時政は彼らを討伐することを決意しました。

畠山重忠に祖父を討たれた三浦義村に命じ、まず由比ヶ浜で畠山重保を殺害。彼の屋敷もこの辺りだったのでしょうか?

その翌日には、北条義時や時房(ドラマではまだ改名前の時連=ときつらで登場)兄弟や和田義盛に命じ、畠山重忠を討伐します。義時や時房は畠山重忠の無実を信じていましたが、命令に従わざるを得ませんでした。

ドラマでは、比企一族に対抗するべく、宮沢りえさん演じる牧の方(りく)が、北条を盛り立てなさい!と畠山重忠にハッパをかけていますが、これもこの両者が対立する伏線なのでしょうか? 楽しみですね。

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