鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅6 畠山重忠邸跡~大倉幕府跡

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「坂東武者の鑑」畠山重忠の邸宅跡

2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。

鶴岡八幡宮を参拝した後は、

鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅5 鶴岡八幡宮で厄除けの自祓い

2022年6月5日

鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅4 実朝暗殺の舞台となった鶴岡八幡宮

2022年6月5日

最初に幕府が設置された大倉山方面を目指します。

その途中に見つけたのが、武勇の誉れ高く清廉潔白な人柄から「坂東武者の鑑」と称えられた、秩父氏一族・畠山重忠(埼玉県深谷市畠山に所領があった)の邸跡を示す石碑。

鶴岡八幡宮のすぐ隣にあったのでびっくり! 政所跡(鎌倉ロイヤルハイツそば)にも近いですね。

源頼朝は鶴岡八幡宮を中心にして、鎌倉幕府の中枢施設を整備しました。

畠山重忠邸が鶴岡八幡宮のすぐ近くにあったということは、頼朝や幕府首脳部にとても信頼されていたということかな? 彼は『鎌倉殿の13人』(2代将軍頼家を支えた13人の重臣たち)のメンバーには入っていないのですが、とても人々から慕われていたようなので、こんな一等地に邸宅もあったのでしょう。

後に、彼の嫡子・畠山重保と共に、北条時政と対立して滅ぼされてしまうのですが、

鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅3 鶴岡八幡宮の鳥居と参道・畠山重保供養塔 

2022年6月3日

ドラマでも中川大志さんが好演されているので、とてもつらい展開になりそうですね。

大倉幕府跡

畠山重忠邸跡から大倉幕府跡までは、歩いて5分ほど。

途中には、風情のあるポストもありました。

今は私立清泉小学校横に石碑が建っているだけですが

小学生が解説してくれる案内板があって、少し癒されました。

1180年10月に鎌倉入りした頼朝は、この場所に屋敷を構え、侍所や政所、門注所など、幕府の組織を整えていきました(門注所は後に鎌倉駅西口近くに移転)

鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅1 問注所舊蹟碑と御成小学校

2022年5月31日

当初は頼朝の父・源義朝の屋敷があった亀谷(今の扇ガ谷で、寿福寺や源氏山があります)が候補になったのですが(大河ドラマでもそういうシーンがありました)、手狭なうえに義朝の菩提を弔う寺院がすでに建てられており、亀谷ではなくこの場所に幕府は建設されたのです。

鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅2 北条政子と源実朝の墓がある寿福寺

2022年6月1日

頼朝の館は寝殿造りでしたが、館の中に御家人たちが控える広い侍所があったり、名馬を30頭近くもつなぐことができるなど、武士の棟梁らしい特徴を備えた建物だったそうです。

元総理も輩出した有名小学校だった!

大倉幕府跡地にある清泉小学校は、カトリック女子修道会を母体とする私立小学校。

関西人の私たちは全く知らなかったのですが、調べてみると、かなり有名人を輩出しているようです。

細川護熙(もりひろ)元首相や、フィギュアスケートの村主章枝(すぐりふみえ)選手など、確かに私でも知っている有名人がいますね。

問注所跡の近くにも、鎌倉市立御成小学校という有名人を輩出した学校があり、古代の郡衙の遺跡が出土しています。

鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅2 北条政子と源実朝の墓がある寿福寺

2022年6月1日

幕府ゆかりの地に建つ小学校には、不思議な共通点があるようですね。

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