鎌倉時代の商業の中心地・大町
2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。
比企能員の変で、比企一族が滅亡した場所に建つ妙本寺を訪れた後は、
北条政子ゆかりの寺院・安養院を目指します。妙本寺の総門から南へ続く道が、雰囲気の良い散策路になっていました。
この辺りは「大町」と呼ばれるエリアで、観光客の喧騒からは離れた静かな場所ですが、鎌倉時代には商業の中心地として賑わっていたそうです。
日蓮上人ゆかりのぼたもち寺・常栄寺
妙本寺総門から少し歩くと、鮮やかな朱色の門がある寺院がありました。

門には「ぼたもち寺」と書かれています。正式名は常栄寺という、日蓮宗の寺院です。
先程訪れた千葉常胤の子孫が建てた妙隆寺や、比企能員の末子が比企氏館跡を献上して寺になった妙本寺も日蓮宗の寺院でした。鎌倉中心部には、日蓮宗寺院が多いのかな?
1271年(最初の蒙古襲来の3年前)、8代執権・北条時宗の家臣(執事)であった平頼綱(大河ドラマ『北条時宗』では、北村一輝さんが演じておられました)は、他宗排斥と幕府批判を理由に日蓮を弾圧。
龍口(たつのくち)の刑場で処刑しようとしました。
この時ここに住んでいた日蓮宗の尼僧が、刑場に連行される日蓮に、胡麻ぼたもちを捧げたそうです。
処刑寸前で難を逃れた日蓮の奇跡で、ぼたもちの逸話も有名になり(「御首継ぎに胡麻の餅」)、後にこの地に寺が建てられたのだとか。
小さいですが、とても印象的なお寺でした。

余談ですが、常栄寺から少し南に位置している八雲神社も、厄除け開運のご利益があるそうです。
北条政子ゆかりの安養院
目指す安養院は、浄土宗の寺院です。「田代寺」という別名もあるのですが、実は3つの寺院が統合されている面白い歴史がありました。

北条政子が頼朝の菩提を弔うため、長谷に建てた律宗の長楽寺は、新田義貞の鎌倉攻撃で焼失してしまいました。
そのため、この地にあった浄土宗の善導寺と長楽寺が、統合することとなりました。
その結果、寺院名は政子の法号「安養院」から「安養院長楽寺」となり、宗派は浄土宗となりました。

江戸時代には、比企ヶ谷に田代信綱という武将が創建した田代寺観音堂がこの寺に統合され、田代寺の千手観音(田代観音)もこの寺院に安置されました。観音の巡礼札所になっているようですね。

現在の名前は「安養院田代寺」。残念ながら、御朱印を頂いたり内部拝観する機会はなかったのですが(よくテレビなどで紹介される北条政子の像はこの寺院にあります)

北条政子の墓と伝えられる石塔や

鎌倉に現存する最も古い宝篋印塔(ほうきょういんとう)は見ることができました。
政子の墓は、実朝とともに眠る寿福寺のやぐらが有名ですが、
ここにもお墓(供養塔)があるとは知りませんでした。どちらも鎌倉時代の墓らしい、簡素なものだったのが心に残りました。
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