「壱岐ちゃり」で島旅5  猿岩と黒崎砲台跡

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壱岐のシンボル・猿岩とご対面

2022年7月16日(土)~17日(日)に、初めて長崎県の壱岐を訪れました。

壱岐の宝石と呼ばれる辰の島を訪れた後は、

「壱岐ちゃり」で島旅3 辰の島遊覧クルーズ 必見!エメラルドの海と奇岩 

2022年8月4日

「壱岐ちゃり」で島旅4  壱岐の宝石・辰の島上陸 絶景海水浴場と断崖絶壁

2022年8月3日

再び電動アシスト自転車に乗って、勝本港から猿岩を目指します。

猿岩は、島の西端部・黒崎半島の先端にありました。グーグルマップによると、勝本港からの距離は12kmほどあるようです。

途中、日本の原風景のような農村風景を通りました。

周囲は私たちのほか、誰もいません。とてものびのびした気分になり、疲れも吹っ飛びます。

丘をいくつか越えて、やっと目指す猿岩が見えてきました。

確かに、左後ろを向いた猿に、とてもよく似ています。

高さは45m。「壱岐のシンボル」「インスタ映えする」と評判のスポットで、夕日が沈む時間帯が、とりわけ絶景なのだとか。

壱岐の神話では、「生きて」あちこち動き回っていた壱岐が流されないように、神様が壱岐の周囲に建てた8本の柱のうちの1本が猿岩だといわれているそうです。

東洋一の黒崎砲台跡 横の坂道を登れば…

第一次世界大戦後、戦勝国のアメリカや日本を中心に建艦競争が行われ、各国の経済を圧迫することとなりました。

この建艦競争を抑制するため、1922(大正11)年にアメリカ・イギリス・フランス・イタリア・日本の5か国によってワシントン海軍軍縮条約が締結されました。

この条約により、当時建造中だった軍艦は廃棄されることとなりました。

せっかく作ったのに…と思ったのか、未完成の巡洋戦艦「赤城」(郷ノ浦町の看板は戦艦「土佐」説)の主砲を、対馬海峡の防衛に使うことになりました(のちに「赤城」は空母に改装)。

そのため建設されたのが、猿岩の近くにある黒崎砲台。

1928(昭和3)年に着工され、6年の月日をかけて完成した、「東洋一」の砲台でした。

全長18mカノン砲2門から、1tもの弾丸が発射されるものでした。確かに戦艦「大和」の弾丸(右)と比べても、そんなに遜色ありません。

ただ「大和」の主砲と違い、この砲台は終戦まで一度も発射されることなく、戦後に取り壊されました。

砲台の入り口です。ちょっと入るのに勇気がいります。

中は真っ暗なので、足下も危ないし、帰る時間も心配なので早々に引き返してしまいました。

後で知ったのですが、「黒崎砲台跡」で検索すると、巨大な穴の写真がよく紹介されています。

私たちは知らなかったのですが、横の坂道を登っていくと、巨大な穴が見える場所があるそうです。時間に余裕のある人や、戦争の遺跡に興味がある人は、ぜひ登ってくださいね。

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