2022年7月16日(土)~17日(日)に、初めて長崎県の壱岐を訪れました。
塞神社(さいじんじゃ)や壱岐一宮の天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)を訪れた後は
原の辻(はるのつじ)遺跡を目指します。カメラの不調でピンボケの写真となりますが、どうかご了承ください。
初めて見たアスパラガス畑
天手長男神社から原の辻遺跡までは
田園地帯をひたすら駆け抜けました。

シラサギが水田に群れています。こんなにたくさんいるなんて!

さらに走っていくと、見慣れない植物の畑が。なんだろう?

近寄ってみると

どうやらアスパラガスのようです。

10年前、日本農業賞で大賞を獲得したこともあり、壱岐はアスパラガス栽培が盛んなのでした。知らなかった!
まずは原の辻ガイダンスへ! 遺跡について学ぼう
原の辻遺跡に行く前に、ぜひ行っておきたい施設があります。

それが、原の辻ガイダンス。

弥生時代の代表的な遺跡である原の辻遺跡について、詳しく学べます。

ここは『魏志倭人伝』に記述のある「一支国(いきこく)」の王都とされた遺跡。

船着き場もあったのですね(日本最古の船着き場だそうです)。魏の使者も利用したことでしょう。


館内には、出土品がずらりと並んでいます。

先ほどの船着き場で活躍していたのは、こんな船だったのでしょうか。

『魏志倭人伝』が伝える「一支国」についても展示があります。邪馬台国も含め、『魏志倭人伝』には30ほどの国が紹介されていますが、国の位置と都の場所が確実に判明するのはこの「一支国」だけなのだとか。

『魏志倭人伝』によると、3,000もの家があったという一支国。こんな装備の兵士が国を守っていたのでしょうか。

原の辻遺跡発掘の歴史についても、充実した展示がありました。地元の人々の力が大きいですね。

発掘で使われた道具の数々。

こういうものをあまり見る機会がなかったので、とても勉強になります。

遺跡とは関係なさそうですが、壱岐出身の現代美術作家・深見隆さんの紹介コーナーもありました。

地元愛が伝わってきますね。
一支国の王都・原の辻遺跡
原の辻ガイダンスで遺跡について学んだあとは、いよいよ原の辻遺跡訪問。
弥生時代の集落遺跡としては、静岡県の登呂遺跡、佐賀県の吉野ケ里遺跡に続き、国内では3例目の国の特別史跡となっています。

現在は「一支国王都復元公園」という史跡公園となり、建物が復元されていました。上は長老の家と集会所です。

高床倉庫や物見やぐらが見えますね。

高床倉庫は稲を収納していたものしか知らなかったのですが、この遺跡では、交易品を収納保管していた倉庫もあったようです。

よく見るとネズミ返しがない!

建物は竪穴住居が多かったようですが、復元住居を見ていると、私たちの自宅の近くの遺跡公園や吉野ヶ里遺跡で見た竪穴住居と少し違っているように思えました。
なんだか土壁が多いのです。

それに屋根が少し小さいような気が(上の写真は、原の辻遺跡長老の家)。

上の写真は吉野ヶ里遺跡の竪穴住居(「大人」の家)。比べてみると、やはり違いますね。
同じ九州地方の竪穴住居でも、こんなに違うのでしょうか。大陸との通行頻度にもよるのかな?

外観は異なっていますが、竪穴住居の内部は、吉野ヶ里遺跡と似たような感じでした。

住居内部は立ち入り禁止でしたが、ユーモラスな原の辻の住民がいました!
この遺跡は三重の濠を巡らせた大規模な環濠集落で、祭祀建物跡もあるなどとても大規模だったのですが、限られた時間しかなかったので、公園のごく一部しか見ていません。
吉野ヶ里遺跡みたいな感じなのかな?
遺跡公園の中に、見慣れない金属系の素材を見つけましたが

どうやらこれが、復元住居の骨組みのようですね。
遺跡公園は広々しているせいか、ほかの観光客の姿を見ませんでした。

なかなか興味深い遺跡でした。広大な遺跡公園で、ひととき弥生時代にタイムスリップしてみてはいかがでしょうか。
コメントを残す