八丈島旅行の予定が、急遽船の欠航で中止になり、予期せぬ東京滞在となった私と長女。
仕方ないので、長女の家に泊めてもらいながら、東京見物&街歩きをすることにしました。
イギリス貴族の館が駒場に出現! 華麗なる大食堂での晩餐会
2022年10月7日(金)、冷たい雨の中を渋谷から松濤、富ヶ谷を経て駒場公園まで歩いた私たちは、旧前田侯爵家本邸の和館をまず見学し、伝統的な書院造の素晴らしい建物に感心しました。
次に訪れた洋館は、まるで西洋のお城のよう。
前田家第16代当主・陸軍軍人の前田利為(としなり)の邸宅として、1929(昭和4)年に竣工しました。地上3階・地下1階建てのイギリス・チューダー様式の建物です。
こちらも和館同様、無料で内部見学できます。
長女も内部に入るのは初めてで、予想以上の豪華さに驚いていました。「加賀百万石」と謳われた前田家の実力がいかんなく発揮されているようです。
1階は晩餐会を行う、重要な社交の間。
大食堂にはピアノもあります。
館の主である前田利為は、ドイツ私費留学や駐英大使附武官としてヨーロッパに滞在した経験があり、海外の外交団や皇族など、賓客を接待することがありました。そのためには、このような豪邸が必要だったのでしょう。
26人は入れるという大食堂の暖炉。周囲の唐草模様装飾が美しい!
マントルピース上部の壁に張られた「金唐紙」は、ヨーロッパの装飾品のひとつである「金唐革」を模して和紙で作られたもので、大変貴重なものだそうです。
大食堂だけでなく、各部屋には暖炉があり
デザインも違っていて、とても面白かったです。
大食堂の隣には、普段家族が食事をとる小食堂がありました。
1階の廊下。廊下も手を抜いていません。カーテンや壁紙がとても美しい。
家族の生活の場・2階へ 豪華な夫妻の寝室や子供たちの部屋
2階へ上がる階段。
ここも浮き彫り装飾が本当に見事で感心しました。
階段上の透かし窓は、仏教的なモチーフである宝相華(ほうそうげ)唐草を取り入れているそうです。ステンドグラスも取り入れられていますね。
夫妻の寝室。ベッド上部の窪みには、前田家の守り刀が置かれていたとか。武人・前田利家の子孫らしいです。奥には夫人の化粧室も。
家族団らんの場になっていた、婦人室。温かみのある壁紙や、丸みのある優雅なデザインの暖炉が素敵です。
立派な机の上に黒電話が置かれた、主人の書斎。陸軍の部下たちを招いて会議を開くこともあったとか。
重厚感がありますね。こんなにたくさん本が置けて、うらやましい!(ただし置く本を選びそうな書棚です)
客用寝室。普段は長女が使っていたそうです。
その他にも子供室など洋室が続く中で
唯一和室だったのが、使用人の部屋。前田邸には100人を超える使用人がいて、地階の厨房で料理を作ったり(できた料理は、ダムウェーターという小型エレベーターで1階や2階に運ばれました)、3階の洗濯室で働いていたりしたそうです。
2階には浴室もありましたが、バスタブは残っていませんでした。
バルコニーの装飾も美しい!
洋館と和館の間は、非公開の渡り廊下(東庭壁泉)でつながっています。上の写真の奥に見えているのはその渡り廊下かな?
この日は終日雨で外も暗かったのですが、不思議とイギリス風の館には、雨も似合っていました。
「東洋一の大邸宅」が駒場に出現した理由 東大との深い縁
江戸時代から加賀藩主・前田家の屋敷は本郷にあり、明治になってかなりの部分を
東京帝国大学の敷地として明治政府に譲っていました。
今も東京大学本郷キャンパスに残る赤門(前田家第12代当主の正室となった11代将軍徳川家斉の娘の屋敷の門)や
三四郎池と通称される(正式名は「育徳園心字池」)池は、前田家上屋敷の名残です。
その後東京帝国大学はさらに拡張の必要を生じ、東京帝国大学駒場にあった農学部の土地の一部と、本郷の前田邸の土地を交換。
こうして当時まだ田園風景が残る駒場の地に、イギリス貴族のカントリーハウスのような洋館が建てられることになり、「東洋一の大邸宅」が誕生するのです。
当主の突然の死! 当時の世相を反映した大邸宅の所有者
昭和前期の一般庶民からは及びもつかない、華麗な生活を送っていた前田侯爵家ですが、1942(昭和17)年に57歳で招集され、ボルネオ守備軍司令官として赴任。同年搭乗した飛行機が墜落し(原因不明)、死亡してしまいます。
彼の死は名誉の戦死か事故死か。事故死なら巨額の相続税が国に転がり込んできます。結局彼の死は戦死扱いとなり、前田家は相続税を免れました。しかし更に戦局が困難を極めた2年後に前田家はこの館を去り、土地と和館は東洋最大の航空機メーカーと言われた中島飛行機が買収し、本社を疎開させています。
戦後は連合軍に接収され、マッカーサーの後任として来日したリッジウェイ最高司令官の官邸にもなりました。
1964(昭和39)年には、東京都が中島家から土地と洋館を買収し、公園として整備。現在に至るわけです。
所有者の変遷は、まさに激動の昭和史! 見どころも満載で、本当に来てよかったと思いました。
コメントを残す