まだまだ知らない東京を見て歩く9 山王日枝神社から赤坂氷川神社へ

スポンサーリンク



国会議事堂や首相官邸がすくそば!山王日枝神社

2022年10月9日(日)、今日の街歩きコース前半は、山王日枝(さんのうひえ)神社からスタートです。

地下鉄溜池山王駅からすぐなのですが、地上に出ると、ものものしい警戒ぶりにびっくり! なんと首相官邸や国会議事堂、衆議院議員会館がすぐそばでした。ちなみに住所は東京都千代田区永田町2丁目。千代田区と港区(赤坂)の境界線近くにあるようです。

山王鳥居という独特の形は、仏教(特に比叡山延暦寺の天台密教)と神道とを融合させた滋賀県大津市の日吉(ひえ)大社の鳥居の形から来ています。

神社は小高い丘の上にありますが、山王橋のエレベーターで上まで登れました。ありがたい。

元々戦国時代に、太田道灌が江戸城の守護神としてこの神社を創建。江戸時代には徳川家の氏神、明治以降は皇居の守護神として崇められたのだとか。

本殿です。宮参りや七五三の人たちがいました。

御朱印(500円)も頂き

西側の神門から降りたのですが、「山王男坂」の名の通り、かなり急な階段でした。

勝海舟の屋敷跡

次の目的地、赤坂の氷川神社まで歩いたのですが、目的地近くで面白いものを見つけました。

勝海舟・坂本龍馬の師弟像です。

氷川神社の近くに勝海舟が住んでいたとは聞いたことがありますが、屋敷跡にまさかこんな銅像が立っていたとは。でももし勝海舟と出会っていなければ(あるいは勝海舟を殺害していれば)、龍馬はただの尊王攘夷テロリストで終わっていた可能性もあるので、顕彰される意味はあるのかもしれません。勝海舟の雄弁が、歴史を変えたのかな?

建立のため寄付をした人々の名が石碑に刻まれていましたが、よく見ると坂本一族らしき方や、勝海舟のひ孫らしき方、さらに千葉周作の子孫らしき方々などの名前があってびっくり。

今は港区立赤坂子ども中高生プラザとなり、18歳未満の子どもと保護者、関係者が利用できる施設になっていました。

この辺りにあった氷川小学校。昭和4年に勝海舟邸跡のこの地に移転しました。校歌に勝海舟が登場します。今は赤坂小学校に統合され、氷川小学校は廃止されました。とても立派な記念碑ですね!

都心のオアシス・赤坂氷川神社

この銅像から氷川神社までは、目と鼻の先。

見えてきたのは、とても古くて由緒ありげな神社でした。

社殿は徳川吉宗によって創建され、

関東大震災や東京大空襲の難をかいくぐったため、本殿など社殿は東京都指定有形文化財だそうです。

祭礼の山車(だし)。赤坂氷川祭で使われるようです。

かなり新しそうな山車だと思っていたら、2007年に80年ぶりに復活したのだとか。

しっとりした雰囲気の神社で、とても都心とは思えない清涼な空気があり、初めて訪れた東京暮らしが長い長女も大満足。

御朱印(500円)もいただきました。

境内にあった四合(しあわせ)稲荷神社。明治時代に稲荷神社4社を合祀し、勝海舟がこの名前を付けました。

山王日枝神社とはまた違った良さがあった氷川神社。周囲も静かな住宅地だったのですが、隣接する広大な丘陵地が元三井本邸跡で、現在は(日本の治外法権)テンプルタウンハウスアメリカ大使館宿舎という集合住宅になっているということを私も長女も初めて知りました。東京ってまだまだ知らない歴史がいっぱいです!

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です