2022年10月10日(月)、東京街歩き最後の日。レインボーブリッジを歩いて渡り、天王洲アイルで美味しいクラフトビールと食事を堪能した私たちは、
最後の目的地、品川神社へと向かいました。
気になる品川上空の低空飛行
天王洲アイルでの食事の際にも、店の上空を頻繁に飛ぶ飛行機に驚いていたのですが
品川神社へと進んでいくと
さらに飛行機の数が多くなっていくように思いました。
しかも低空飛行! 1日3時間とはいえ、これが頻繁に続くとかなりの騒音問題です。
伊丹空港の近く(天候によってはかなり飛行機の音が近くに聞こえる場所)で育ち、ある程度は飛行機の騒音には慣れている私でも、ちょっとこれは大変だなと思いました。
海上を飛ぶ新たな飛行ルートが早く確定してほしいですね。
品川神社と源頼朝と板垣退助
やがて旧東海道品川宿の表示が見えてきました。
風情ある街並みを通り
やっと見えてきた品川神社! 鳥居に龍が巻き付いている、独特のデザインです。後で知ったのですが、「双龍鳥居」という昇り龍と降り龍が一対になった鳥居なのだとか。
源頼朝が1187年(平家を滅ぼした2年後)、海上安全と祈願成就の守護神として、千葉県館山市にある洲崎神社の神を勧請して祀ったのが、品川神社の始まりです。
徳川家康も関ケ原の戦いの際に勝利を祈願し、その御礼として、徳川家はこの神社を保護しました。本殿の軒をよく見ると、金色に輝く徳川家の紋所・三つ葉葵が!
品川神社の御朱印です(300円)。
境内には、阿那稲荷神社もありました。
そしてさらに境内の奥に行くと、立派なお墓を発見! なんと、板垣退助(右)と妻の墓でした。
ただ、元々は東海寺の塔頭・高源院に墓があったのに高源院が移転してしまい、墓が取り残されて神社境内を通らないと墓に行けないというのが実情のようでした。何とか元のお寺に戻してあげられないものでしょうか。
品川富士に登ろう! 今も続く富士信仰の場へ
品川神社には、富士塚がありました。江戸時代に富士信仰が盛んになると、富士山を模して人工のミニ富士が造られたのは聞いたことがあったのですが、実物を見たのはこれが初めて。
上の写真の左上、ポールが立っている小高い場所が富士塚です。
明治2年に造られたこの富士塚は「品川富士」と呼ばれ、「江戸七富士」にも入っているのだとか。
富士山の本物の溶岩が使われています。
実際に富士登山ができない人々がここを登り、また、ここから富士山を遙拝するために、品川宿の冨士講(丸嘉講社)300人によって造られたそうです。
やっと頂上! 東京一の高さを誇る15mの富士塚です。
眺めは江戸時代と大違いだし
飛行機もバンバン飛んでいるけれど、富士を崇める講の人々の信仰は今も続き、7月1日には講のメンバーが富士塚山開きの儀式を行うそうです。
変わっていくものもあれば、変わらないものもある。東京には、まだまだ面白いものがたくさんあるなとつくづく感じました。
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