2022年11月19日(土)、和歌山市を訪れる機会がありました。
加太の淡嶋神社をまず訪れ、そのあと和歌浦の紀州東照宮を参拝しました。
日本三菅廟と林羅山
次の目的地は、紀州東照宮に隣接する和歌浦天満宮です。
神社の入口にある、この看板に目が留まりました。「日本三菅廟」なんて聞いたこともありません。

調べてみると「日本三大天神」と同じ意味らしく、菅原道真を祀る日本全国の天満宮のうち、代表的な三社のこと。
でも誰もが思い浮かぶ北野天満宮や太宰府天満宮に並ぶ第三の天満宮については、いろいろな神社が名乗りを上げているそうです。
この和歌浦天満宮もその1つ。
理由の1つは、実際に菅原道真が大宰府に左遷される際、海上の風波を避けるために、和歌浦に船を停泊させたこと。

もう1つは、江戸時代初期の儒学者で徳川家康の知恵袋の1人だった林羅山がこの地を訪れ、「北野天満宮や太宰府天満宮とともに由緒がある神社で、日本の三菅廟の一つである」と言ったこと。
でも、徳川家に仕えている林羅山が、主君・家康の十男で初代紀州藩主の頼宣(よりのぶ)に敬意を表して、ことさらこの天満宮を評価したという可能性も捨てきれません。
ともあれ、由緒ある神社には間違いなさそうです。
紀州東照宮に負けないくらいの急な石段
鳥居をくぐってみました。

なんとなく予想はしていましたが、ここも紀州青石の参道、そして隣接する紀州東照宮に負けず劣らずの、
かなり急傾斜の石段が待ち構えていました。

石段の数は紀州東照宮よりも少ない50段で、男坂と呼ばれています。

まずは石段両脇にいる狛犬ならぬ狛牛にご挨拶。

この牛がどことなく愛嬌があって、かわいい!

いよいよ石段のぼりです。紀州東照宮に比べると、段数は確かに少ないのですが(手すりもあります)

紀州青石の石段がごつごつしていてワイルドです。

ちなみに紀州東照宮と同じく、ゆるい傾斜の石段(女坂)も左側にありました。
境内から見る和歌浦の絶景
由緒ある和歌浦天満宮ですが、秀吉が紀州征伐を行った際(この時根來寺も炎上)
ここも焼失してしまいました。

現在の社殿は、関ケ原の戦い後和歌山城主となった浅野幸長により本格的に再建されたもの。

本殿の前には絵馬がびっしり! きっと受験シーズンには、たくさんの受験生が訪れるのでしょう。和歌浦一円の氏神としても信仰を集めているそうです。
天満宮らしく、筆塚もありますね。

御朱印(500円)も頂きました。
境内から見る和歌浦
この神社の境内からは、和歌浦の絶景がよく見えました。

今はだいぶん景色が変わってしまったけれど、ここは古来から風光明媚な地で、都からも近かったため多くの人が訪れたのだとか。
特に聖武天皇はこの地を愛して何度も行幸し、彼の供をした山部赤人がこの地を詠んだ和歌は、『万葉集』に収録されています。
海上に浮かぶ小島の玉津島が、潮の干満で陸と続いたり離れたりする景観を呈していたのだとか。モンサンミシェルや江の島などと同じ陸繋島だったのですね。
ちょっと曇ってしまったのが残念ですが、海がみられて本当に良かったです。
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