鉄砲隊も持つ僧兵集団を擁した根來寺 中世のたたずまいを残す広大な境内 

スポンサーリンク



JRと和歌山バスで根來寺へ

2022年11月5日(土)、和歌山県岩出市の根來寺(ねごろじ)を訪れました。

東横INN大阪日本橋文楽劇場前で前泊し

大阪いらっしゃいクーポンで道頓堀! 大阪らしい料理を食べよう

2022年11月28日

JR難波駅から新今宮駅へ。新今宮駅からは9:23発の紀州路快速に乗り換えます。

いい天気なので通天閣もよく見えました。

10:34に紀伊駅で下車し、今度は和歌山バス那賀で10:43発近畿大学行に乗車。バス停は駅前にあり、案内所の女性も親切で乗るバスを教えてくれました。有人案内所は本当にありがたいです。

残念ながらこのバスは根來寺までは行かず、10:55に「根來」バス停に停車。

そこからグーグルマップのお告げでは12分ですが、根來寺公式HPによると20分歩きます。

道の両側には落ち着いた風情の町並み。

中世は僧兵集団がいたという根來寺らしく、途中の道にはこんな店も。

道端の不思議な花にもびっくり。ノゲイトウという花でした。初めて見ました。

家康に味方し、秀吉に焼き討ちされた根來寺

しばらく歩いて大門に到着。

根來寺は高野山と並ぶ真言宗の拠点として栄えた寺院。秀吉と家康が対立した小牧・長久手の戦いでは家康方に通じ、秀吉側の岸和田城を襲ったり、南摂津への侵攻を図ったため、秀吉に攻められてしまいました。

「根來衆」と呼ばれた僧兵たち1万は、秀吉軍とよく戦いましたが根来寺はわずかな建物を残して炎上。関ケ原の戦い後、江戸時代に紀州徳川家の庇護のもと、主要な伽藍が再興されたそうです。

現在は真義真言宗の総本山となっています。

この門はペリー来航の前年(1852)年に再建されましたが、とても立派。

両脇の仁王様の彩色も、よく残っていました。2階部分にも釈迦如来や十六羅漢像が安置されているとか。

中世であればこの周囲も、多くの寺院が立ち並んでいたのではないでしょうか。

広大な敷地に点在する伽藍 焼き討ちを免れた大塔など見どころ満載

大門は無料で拝観できますが、しばらく歩くと受付があり、ここで入山料500円を払ってパンフレットをもらいました。

受付を入ってすぐ見えてきたのが、中国風の門。

鐘楼門です。上層部に鐘があるのかな。なんとなく禅宗寺院のような感じがしました。

さらに進むと、光明殿。真言宗中興の祖で、平安時代中期に根來寺を開いた興教大師覚鑁(かくはん)の像が安置されています。

境内の紅葉はまだ早いようですが、ここは秋の気配がありました。庭園は浄土をイメージしたものなのだとか。

これは根來寺の中で最も古い建物。

弘法大師を祀る大師堂です。

国宝の大塔。高さ40m、幅15mの木造では日本最大の多宝塔です。曼荼羅のかたちを建築で具現化しており、真言宗では最も重視される塔で、内部も拝観できました(撮影禁止)。均整の取れた美しい姿です。

秀吉の根来寺攻めの際についた火縄銃の弾痕が基部にあると、後で知りました。見学できるのかな?

根來寺の本堂にあたる大伝法堂。本尊は金剛界大日如来を中心とする三尊像ですが、本尊は3mを越える巨像で、光背の形も独特。これも撮影禁止でしたがなかなか印象的でした。

不動堂エリアで御朱印を頂こう

次に訪れたのが不動堂エリア。

中心にあるのが、この不動堂です。八角円堂と方形の建物が合体しているスタイル。

屋根の頂にある宝珠がユニーク!

この不動堂の本尊は、錐鑽不動(きりもみふどう)と通称される不動明王です。

根來寺を開く前、覚鑁は当時堕落していた高野山の信仰を建て直し、宗祖・空海の教義を復興しようと努めましたが、高野山内の衆徒はこれに反発。

覚鑁たちは焼き討ちに遭いますが、その時不動明王が身代わりになって命を守ったのだとか。

今回は不動明王(きりもみ不動)の御朱印を頂きましたが(300円)、光明殿近くにある本坊・寺務所(見逃しました)では、大日如来や興教大師の御朱印を頂けます。詳しくはこちら

霊験あらたかな不動明王を参拝し、(すべて境内を拝観したわけではありませんが)大満足で根來寺を後にしました。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です