2022年11月19日(土)、和歌山市を訪れる機会がありました。
加太の淡嶋神社、和歌浦の紀州東照宮と和歌浦天満宮を参拝し、不老橋まで足を延ばした後、バスで和歌山城を訪れました。
築城の名手・藤堂高虎が普請した和歌山城
和歌山城は、市内中心部の虎伏山(とらぶすやま)山頂に築かれた城です。
JR和歌山駅よりも、JR・南海和歌山市駅に近いです。バスが便利ですが、歩いても10分くらいなので余裕で歩けます。
県庁や近代美術館などが近くにあり、和歌山市の中心部といった感じでした。でも近代美術館の近くに徳川吉宗の銅像があったことには気づきませんでした。お城のそばではなくて、向かいにあるとは!
私たちは南東部の岡口門から入りました。西側の県庁前でバスから降りたので、よく考えれば西にある追廻門(おいまわしもん ここで馬を追い回していたらしい)から入った方が近かったです。無駄なエネルギーを使ってしまいました。
でも岡口門は、国の重要文化財だし城門らしい櫓門なので、この道でもよかったかな。ちなみに北東部に大手門がありますが、和歌山城築城当時は、この岡口門が大手門だったのだとか。
門を入ると、すぐに立派な石垣! 精密に積まれたこの石垣は、徳川時代のものでしょう。
天守へ続く道には、菊が並んでいます。
秋らしくていいですね。
城の石段も、紀州の青石のようです。石垣の方は、先ほどのものより少し古いかな? 城主がまだ浅野家だった時代のものかもしれません。
「七福の庭」と呼ばれる一画がありました。7個の石を宝船に乗る七福神に見立てているようですが、周囲が整備されていないためなのか、今一つピンときませんでした。ちょっともったいないかも。
散り敷いた紅葉が美しかったです。
天守閣とご対面
ここまで全然天守閣の姿を見ることができませんでしたが、ここでやっと、天守閣とご対面。
この天守台の石垣は、和歌山城でもっとも古い時代のもので、自然石を切り出してそのまま積んだ野面(のづら)積みと呼ばれる技法です。石も紀州青石が使われています。最初に和歌山城を創建した、羽柴秀長(秀吉の弟)時代のもの。
この時普請奉行を勤めたのが、秀長の家臣だった藤堂高虎で、彼が手掛けた最初の本格的な近世城郭と言われています。その後も何度も増築されました。
姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城(大天守と小天守を中心に、櫓を四方に配置して渡り櫓でつなぐ平山城)だそう。
「南海の鎮(しずめ)」として西日本を監視する役割を担った、紀州徳川家(広島藩主となった浅野家の後、1619年に入国)の城にふさわしいですね。
戦前国宝に指定された天守閣ですが、1945(昭和20)年7月の和歌山大空襲で焼失し、今の天守は戦後再建されたものです。この時最も多額の寄付をしたのは、和歌山市出身の松下幸之助さん(パナソニック創業者)だったとか。
場所はわからないのですが、和歌山城では『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』など、時代劇の撮影も行われているようです。特に徳川家や紀州徳川家から8代将軍になった徳川吉宗に関する作品が多いのだとか。やはり吉宗に対する愛は熱いですね。
天守閣内部
天守閣に入るには、大人410円の入館料が必要です。
お城印も、ここで頂くことができました(300円)。日本百名城の1つだそうです。
内部には、紀州徳川家ゆかりの品々が展示されていました。
もちろん武器や武具なども充実しています。
天守閣の上から眺めた和歌山の景色も、なかなか興味深いものでした。これは紀ノ川の河口かな?
向こう岸には工場が多そうですね。
和歌浦はどちらの方向かな? こっちかな? 江戸時代にはもっと美しい光景が見えたかもしれませんね。
珍しい御橋廊下
天守からは面白い形の建物も見えました。橋のような、濠をまたぐ建物のような。
これは御橋廊下という建物で、城主とお付きの人、奥女中が二の丸と西の丸を行き来するために架けられた江戸時代の橋。
外から見えないように壁と屋根が設けられ、部屋のような造りになっています。
これも最近復元された建物ですが、斜めに架かる廊下橋としては全国的に珍しいそうです。
内部は天守閣同様に展示室となっていて、童謡『まりと殿様』にちなむ展示もありました。
あの童謡のまりは、最後に紀州のみかんになるんですね。ちょっと懐かしくなりました。
今回は時間の関係で、西之丸庭園(無料)やわかやま歴史館2F歴史展示室(和歌山城天守閣と共通券)は訪れませんでしたが、時間があれば訪れてみたいと思いました。
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