2022年12月30日(金)、福江島2日目です。この日は終日、五島タクシーの中野運転手に、島内を案内していただきました。
「西の高野山」大宝寺
井持浦教会と日本最古のルルドを見学した私たちは
タクシーでの最後の目的地、大宝寺(だいほうじ)へ向かいました。
大宝元(701)年の創建と伝わり、持統天皇の勅願寺として、五島の寺院の中では最も古い歴史を持つ寺院です。ちなみにこの年に在位していたのは文武天皇で、祖母の持統上皇もともに政務をとり、大宝律令が完成しています。
そんな古い時代から、この島に天皇の勅願寺ができていたとは! 702年から838年まで、遣唐使が五島列島から東シナ海を横断するルートを採用したことが、その理由なのかもしれません(福江島が遣唐使の日本最後の寄港地となったため)。
由緒あるお寺のせいか、門も立派です。
元々は奈良時代に盛んだった(南都六宗の1つ)三論宗の寺院でしたが、空海がこの近くの浜に漂着し、日本で最初となる真言宗の講釈を行ったことから真言宗に改宗。
さらにこの寺を中心に真言密教が広まったため、「西の高野山」と呼ばれ、
五島八十八ヶ所巡拝の八十八番札所でもあります。
広い境内には、いろいろな仏像があって、
見て歩くのも楽しいし
大福釜というのも初めて見ました。
お寺にしめ縄というのも珍しいのでは?
本堂の中も撮影可ということで(懐中電灯も貸してくれました)、最澄ゆかりと伝わる十一面観音菩薩や
左甚五郎作という猿の彫刻も見ることができました。
梵鐘は室町前期(1375年)、播磨国の僧侶が中国(当時は明)に渡航するに際し、航海安全を祈願して寄進したものと伝わります。これもとても貴重なものですね(長崎県有形文化財)。
なお、大宝寺に隣接する事代主(ことしろぬし)神社の秋祭りは
「大宝の砂(ずな)打ち」と呼ばれる珍しい祭り(国選択無形民俗文化財)です。詳しくはこちらをご覧くださいね。
幕末にできた石田城(福江城)
福江島をほぼ一周してくださった中野運転手とは、
今夜の食材調達先の、エレナ福江店でお別れ。本当に長時間、ありがとうございました。
買い物を終え、近くの石田城に少しだけ行ってみました。
この城は、五島藩最後の藩主が幕末に完成させた、珍しい城。
異国船を監視し、海上防衛に備えるとの目的で、江戸時代初期に焼失した城のかわりに、海辺での築城が認められました(それまでは、陣屋を藩庁にしていたそうです)。
14年の歳月をかけて、1863年に完成した石田城は四方を海に囲まれた海城で、城内には台場(砲台)も設けられていました。しかし完成からわずか9年後に、明治政府により解体されてしまいました。また、城の周囲も埋め立てられて、海城の面影を偲ぶことも難しくなっています。
ホテルからもよく見えた常灯鼻(じょうどうばな)は、石田城を築く際に城の北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするため築かせたものだそう。
今回は城を外から見ただけでしたが、二の丸跡には五島氏庭園も残されているそうです。また機会があれば行ってみたいな。
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