朝の連続テレビ小説『らんまん』主人公のモデル・牧野富太郎ゆかりの地を、昨年から今年にかけて訪ねることができました。
昨年6月26日(日)、牧野富太郎が生まれた町・高知県佐川町に行き、まず富太郎が11歳から教育を受けた名教館(めいこうかん)を見学しました。
「酒蔵の道」にある牧野富太郎ふるさと館
佐川町に「酒蔵の道」と呼ばれる道がありました。
名前の通り、酒造家が並んでいる一画で
白壁の土蔵が立ち並ぶ、風情のある一画です。
佐川町でよく広告を見る、司牡丹酒造もここにありました。
更に歩いて行くと、牧野富太郎ふるさと館。
彼の生家跡地に建てられた資料館です。生家は今はありませんが、模型や写真は残っていました。
彼の生家は「岸屋」と呼ばれる造り酒屋でした。富太郎は裕福な造り酒屋の一人息子(兄弟姉妹はいません!)。両親も早くに亡くなり、祖母に育てられました。その財産を、富太郎は使い果たしてしまいました。
富太郎が勉強部屋にしていた酒蔵の写真。2001年に撮影された写真ですが、現在は取り壊されています。その跡地では、先ほど紹介した司牡丹酒造が富太郎にちなんだ「マキノジン」を蒸留しているのだとか。
岸屋の遠景写真。祖母は岸屋の将来を案じ、富太郎を幼馴染の従妹・猶(なほ)と結婚させるのですが、彼は妻に全く興味を示さず、祖母の死後は東京で妻子を持ち、猶には生活費のみ要求。とうとう岸屋は人手に渡ることになってしまったのです。後に正式に猶とは離婚し、猶は岸屋の番頭だった井上和之助と再婚するのですが、その後も「従妹」として、牧野家との交流は続きました。これにはびっくり!
牧野富太郎の植物画や(本当に細密で素晴らしい!)
自費で出版した書物、
死後に贈られた文化勲章と勲二等旭日重光章(右)も展示されていました。
建物の外には、佐川ゆかりの人々も紹介されていました。漫画家の黒鉄ヒロシさんもいるんですね。
現在、『らんまん』のスタートに合わせて館内はリニューアルされており、富太郎少年時代の部屋などが再現されているとか。詳しくはこちらをご覧ください。
牧野公園にあった牧野富太郎の墓とスエコザサ
1902(明治35)年、東京で活動していた富太郎は、故郷の佐川町にソメイヨシノの苗を送り、それを地元の有志が青源寺の土手などに植えました。
その周辺が整備され、現在では牧野公園となっています。
公園には牧野富太郎の墓(東京にも夫妻の墓があります)や
死の床に伏した愛する妻の名の名を付けた「スエコザサ」もあり、富太郎を偲ぶことができました。
私たちが訪れた時にはアジサイや、
夏椿が美しかったですが、きっと桜の時期には、見事なソメイヨシノが咲いたのでしょうね。
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