天守閣現存の国宝・高知城1 山内一豊と妻の像 おしどり夫婦でも、像は別々の場所に

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朝の連続テレビ小説『らんまん』主人公のモデル・牧野富太郎ゆかりの地を、昨年6月26日(日)に訪ねました。

前日深夜、大阪梅田から夜行バス「よさこい号」ではりまや橋で下車し、「土佐の日曜市」が開かれる高知城近くの追手筋へ向かう途中、

南国高知グルメ旅3 土佐の日曜市と田舎寿司

2023年4月14日

高知城の無料拝観エリアに入ってみました。

高知城と言えばこの夫婦!

高知城と言えば、誰を連想するでしょうか?

坂本龍馬や武市半平太など土佐勤皇党の人々、或いは「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」の別名でも知られる幕末の土佐藩主・山内容堂(やまうち ようどう)、戦国ファンなら、戦国大名・長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)も思い浮かべるかもしれません。

でも私が思い浮かべるのはやはり、昔のNHK大河ドラマ『功名が辻』の山内一豊・千代夫妻。この2人の銅像が、高知城内にそれぞれありました。

以前訪れた、石川県七尾市小丸山城址公園で見た「前田利家松子之像」(上)のように2人一緒ではなかったのです。おしどり夫婦だと思うのですが。

山内一豊像は、城の追手門近くに(県立図書館前)にあります。

少し奥まったところにあるためか、最初に訪れた時には見逃してしまいました。

一豊の妻の像の方が、城の中心に近く、目立つ場所にあるようです(あくまでも個人の見解ですが)。

山内一豊像の作者は、桂浜の龍馬像も作っていた!

山内一豊像は、土佐藩初代藩主にふさわしい大きな騎馬像ですが、実はこの像は2代目。1913(大正2)年に造られた初代は、太平洋戦争末期に金属供出され、1996(平成8)年に再建されたもの。

元々ここは、土佐藩初代藩主山内一豊夫妻や歴代藩主を祀る山内神社(旧名・藤並神社)の境内で、大鳥居から続く参道の奥に、この騎馬像は立っていたそうです。今は「藤並公園」となっていました。

銅像の作者は、高知県宿毛(すくも)市出身の彫刻家で、明治の大彫刻家・高村光雲の弟子だった本山白雲。

私は全く知らなかったのですが、桂浜の坂本龍馬像や、室戸岬の中岡慎太郎像も、白雲の作品でした(すごい!)。

高さ4.32mのこの像は、騎馬像としては、皇居前の楠木正成像を上回る、国内最大クラスだそうです。

山内一豊の妻は名馬と共に

そして一豊の妻(名前については諸説あり)の像は、杉ノ段近くにありました。

彼女が自分の持参金(または蓄えていたへそくり)で夫の欲しがった名馬を買い、主君・織田信長の催した馬揃え(軍事パレード)で名馬にまたがった一豊は信長の目に留まって加増され、出世の糸口になったというエピソードを表現しています。

名馬なら走るのも早く、スタミナもあって長い時間走れそう。夫の命が助かる確率も高いですよね。買って正解!

この像は、1965(昭和40)年に高知商工会議所婦人会が建立したもの。大河ドラマの原作となった『功名が辻』(司馬遼太郎)の連載が終了したころですね。

ちなみに小説や大河ドラマでは、一豊の妻は千代と呼ばれていますが、「まつ」説もあり、確実な名前は戒名の「見性院(けんしょういん)」。

この翌日に訪れた高知城天守閣には、夫妻の肖像画もありました。

本丸御殿(懐徳館)にも、大河ドラマのポスターや千代役の仲間由紀恵さんが着用していた衣装などがあり

この夫婦の人気がまだまだ根強いことを物語っていました。

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