牧野富太郎の遺品がいっぱい! 充実の記念館
NHK連続テレビ小説『らんまん』もそろそろ大詰め。
主人公のモデルとなった高知県出身の植物学者・牧野富太郎のゆかりの地・高知県を昨年訪れる機会があったのですが
今年の春も、ゆかりの地をいくつか訪れる機会がありました。
前回ご紹介した東京都練馬区にある練馬区立牧野記念庭園では、記念館がありました。富太郎が亡くなるまで暮らしていた家の跡地に建っています。
ここには、牧野富太郎の写真や遺品が多数展示されていました。
やはり牧野富太郎と言えば、『らんまん』でも使われている胴乱(採集した植物を入れる道具)と万年筆(右)。
これも採集用具。富太郎は道具にこだわる人(職人気質)で、あれだけ借金を抱えていたのに、採集ばさみはドイツのヘンケル社製! 採集旅行の帰途、採集ばさみを忘れてしまったことに気が付くと、取り戻すために現地にまた戻ったそうです。慣れ親しんだ愛する道具でないと気持ちが悪い!という感情は、私にもあるので理解できます。
富太郎の描いた植物図。これは富太郎が1890年に発見した(ドラマでも描かれていました)、世界でも珍しい食虫植物のムジナモを描いたもの。
精密な植物図を描くため、富太郎が使用した道具類。筆などは自作することもあったそうです。職人やアーティスト(打楽器奏者など)は、自分が望む道具が手に入らないと、自作するという話を聞いたことがあるのですが、富太郎もその仲間なのでした。
これはヒガンバナを描いたもの。私が知っている花だけでなく、球根や茎の断面図などもしっかり描かれています。
こちらはヨウラクラン。
まだ東京大学植物研究所に出入りする前の富太郎が、故郷の土佐の植物を描いたものもありました。
牧野日本植物図鑑
このような素晴らしい富太郎の植物図と
貴重な植物標本、そして地道な観察などによる考察をもとに
1940(昭和15)年に『牧野日本植物図鑑』は完成しました。1928年に妻の壽衛子(すえこ)が病没してから12年後のことです。富太郎は78歳になっていました。ちなみに大学を辞職したのは、その前年(77歳)。『らんまん』では、主人公の万太郎はもう少し若い年齢で大学を辞めそうですね。
左ページの下はちうりっぷ、つまりチューリップについての記載です。旧字体の漢字や漢文調の文体(漢字とカタカナ)でびっしり書かれている説明文を読むのは少しハードルが高いと思いましたが、文章を現代表記に直し平易化したり、植物図に彩色を施すなど、時代に合わせて多少変化しながら、今も生き続けている図鑑です。
機会があれば、最新版の図鑑を図書館で読んでみたいものです。
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