『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・大泉  標本館と植物園を夢見た壽衛子

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渋谷の荒木山で被災した牧野富太郎  炎上必至!衝撃の言動

NHK連続テレビ小説『らんまん』もそろそろ大詰め。

主人公のモデルとなった高知県出身の植物学者・牧野富太郎は、1923(大正12)年に関東大震災で被災。この時富太郎61歳。妻の壽衛子(すえこ)は50歳でした。ドラマの万太郎の年齢はわかりませんが、もし61歳だとしたら、確かに孫がいてもいい年齢です。

『らんまん』では文京区根津の十徳長屋(架空の場所)で被災していますが、牧野富太郎が被災したのは、渋谷の荒木山。壽衛子が経営していた待合茶屋「いまむら」のあった場所ですね。待合茶屋に隣接する家を借りていたのでしょうか。

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・渋谷  妻が待合茶屋を経営していた頃の渋谷とは

2023年9月24日

『らんまん』では家族の無事や標本のことを心配していた万太郎ですが、牧野富太郎の方は自伝によると、地震の揺れに興味を示して同様の揺れをもう一度体感したいと願ったり、富士山の噴火を見てみたいと語ったり。きっと今、SNSに富太郎が発信したら炎上必至。人間よりも、自然現象(草花含む)に興味がある(興味の対象が非常に偏っている?)富太郎ならではの発想でした。

標本を守るために、大泉村へ

幸い渋谷は火事の被害には遭わなかったのですが、壽衛子は今度もし同じような災害があったら、渋谷ではとても標本を守れないと考え、もっといい土地はないかと探し始めます。

その結果、北豊島郡大泉村がいいだろうということで、壽衛子は待合茶屋「いまむら」を売却し、土地購入資金の一部に充てました。

関東大震災の翌年、武蔵野鉄道(後の西武鉄道)の東大泉駅(現在の大泉学園駅)が開業しますが、壽衛子の購入した土地は雑木林がまだまだ残り、都会の雑踏から離れた静かな場所だったようです。

1926(大正15)年に家が完成し、富太郎一家は大泉に移り住みました(現在の練馬区立牧野記念庭園記念館)。

その翌年、まだ東京帝国大学理科大学で講師の職に就いていた富太郎は、その傍ら論文を作成し、65歳で理学博士となりました。

しかし大泉の新居に移り住んで、2年も経たない1928(昭和3)年2月、最愛の妻・壽衛子を子宮がんとみられる病気で亡くしてしまいます。もし彼に十分な生活費があれば、早く妻を医者に診せ、入院や手術も可能だったでしょう。でもそんなお金は、牧野家にはありませんでした。

壽衛子は生涯13人の子供を産みましたが、6人は早くに亡くしています。これも貧しさが一因だったのではないでしょうか(写真パネルは練馬区立牧野記念庭園記念館で撮影)。

夢のハーバリウムと植物園

富太郎の伝記によると、大泉に転居した壽衛子は、この地にハーバリウム(植物標本室)や植物園を作るのだと張り切っていたそうですが、その夢がかなわぬまま、彼女は亡き人となりました。

壽衛子の死後も、富太郎が全国の採集旅行で集めたり、全国の植物研究家から贈られてきた植物標本は増え続け、富太郎が大泉の家で94歳で亡くなるまでに集めた標本は、約40万点。個人では例を見ない規模でした。

そのうちの大部分(未整理標本)は東京都立大学に寄贈され、整理されたうえで、現在は東京都立大学牧野標本館として活用されています。2023年10月19日から、展示コーナーが一般公開されるそうです。楽しみですね。

また、標本の一部は高知県立牧野植物園や、東京の小石川植物園の標本館にもあります。

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・小石川植物園  今は標本館が大ピンチ!

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『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・高知市2 高知県立牧野植物園(中編)

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『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・高知市1 高知県立牧野植物園(前編)

2023年4月9日

そして、富太郎が青年時代から、植物学者になるためには必要であると感じていた植物園。パネル写真は「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」という、青年期の富太郎が記した植物を研究する上での心構えですが、すでに植物園のことが左から5行目に記されています(練馬区立牧野記念庭園記念館で撮影)。

生前は植物園とまでは行かずとも、自宅の庭に多くの植物を植え(現在の練馬区立牧野記念庭園)、

死後には、生前彼が希望していた高知市五台山竹林寺の南に、彼の業績をたたえる植物園(高知県立牧野植物園)が開園しました。

図鑑も壽衛子の死後、1940(昭和15)年に78歳で完成させたし、富太郎の死後になるけれど、標本館も植物園も完成している。夫婦2人の夢は死後に実現したわけで、つくづく牧野富太郎という人はうらやましい人だなと思いました。

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