宇治川の中の島を歩く  網代木で獲られた魚を供養する十三重石塔と、オフシーズンのウミウたち

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宇治川の魚を供養した塔の島

宇治を流れている宇治川の西岸には、平等院や橋姫神社、縣(あがた)神社などがありますが、

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反対側の宇治川東岸にも、宇治上(うじがみ)神社や宇治神社、宇治市源氏物語ミュージアムなど、色々な観光名所が目白押し。

そんな宇治川の西岸と東岸を結ぶのが、宇治川の中の島。塔の島と橘島を総称して「中の島」とも呼ぶそうです。

縣神社を参拝した後、中の島に行ってみました。

この赤い橋の向こうに、石の塔が見えますが、それがこの島の名前の由来。この十三重石塔は、鎌倉時代後期に奈良・西大寺を再興した僧の叡尊(えいそん)が、魚の霊を供養するために造立したもの。

この辺りの宇治川べりは「あじろぎの道」と呼ばれて、いい散策コースになっていました。

この「あじろぎ」は「網代木」と書きます。「網代」は魚を捕るためのしかけで、漁網の代わりに、川の浅瀬に点々と杭を打ち(これが網代木)その端に「簀(す)」という竹や木で編んだざるを仕掛けるものでした。詳しくはこちらをご覧ください。

秋から冬にかけて、琵琶湖で生まれた鮎の稚魚「氷魚(ひお)」は、宇治川を下って大阪湾に至ります。それを宇治川で獲る仕掛けが「網代」で、川の浅瀬に点々と立つ網代木は宇治の風物詩として、和歌や日記などに盛んに記されたそうです。有名な百人一首の和歌「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木」を思い出しました。その獲られた魚たちを、叡尊は供養したのです。

出番を待つウミウたち

宇治川では網代と同様、古くから鵜飼も行われていたようで、現在も「宇治川の鵜飼」として、夏に多くの観光客を集めています。

この日はまだ3月。鵜飼のシーズンではないのですが(この屋形船が鵜飼見物の船)

塔の島から北へ進み、橘島へ行くと、鵜飼で活躍するウミウたちが、オフシーズンでのんびり過ごしていました。

動物園以外の場所で、ウミウを間近で見たのは初めて。

この宇治川の鵜飼では、人工ふ化で生まれた「ウッティー」と呼ばれるウミウが頑張っています。現在は9羽のウッティーがいるのだとか。

元々は野生のウミウを捕獲して、鵜匠が訓練をするのだとか。

どのウミウがウッティーかな。昔宇治川の鵜飼を見たことがあるのですが、その時は初代ウッティーの1羽だけでした。

ちなみに、全国で唯一のウミウの捕獲・供給地が茨城県日立市の伊師浜海岸にあるのですが、ここも大変な苦労をされているそうです。詳しくはこちらをご覧ください。伝統的な鵜飼は、色々な地域の人々の努力で支えられているのだなと分かりました。

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