能登半島地震から立ち直った輪島市門前町の總持寺祖院  

スポンサーリンク



輪島市門前地区の中心・總持寺祖院

2021年6月、能登半島の輪島市門前町にある天領・黒島地区を訪れました。

輪島市の天領黒島地区へ  モノトーンの町並みと北前船で栄えた歴史

2023年10月29日

「門前町」という名前からして、大きな神社かお寺があるのだろうと思っていたのですが、やはり立派な寺院の門前町でした。

海の近くにある旧角海家(かどみけ)から、山の方へ10分弱ほどタクシーで走ると

立派な門が見えてきました。これが曹洞宗の總持寺祖院(そうじじそいん)。門前町の中心です。ちなみに門前町は、2006年に隣接する輪島市に吸収合併されるまで、独立した自治体だったそうです。

火災ニモマケズ、地震ニモマケズ

總持寺祖院は、1898(明治31)年の大火で全山焼失するまで、曹洞宗の大本山でした。

曹洞宗の寺院と言えば、福井県の永平寺がとても有名ですが、總持寺も永平寺と並んで大本山だったのです。

明治の大火の後、伽藍は再建されたもののこれを機に大本山の機能は横浜の總持寺に移り、能登の總持寺は「總持寺祖院」と呼ばれるようになりました。

2007年の能登半島地震では、ほぼすべての建物が被害に遭いましたが、修復工事が進められ、2か月ほど前に落慶法要が行われたようです。できたてほやほや!

大本山にふさわしい立派な伽藍

タクシーから降りて、總持寺祖院を拝観しました。

まず、先ほどタクシーの車窓からも見えた山門。

1932(昭和7)年の建物ですが、門と赤い太鼓橋(白字橋)が美しい!

明治の大火を免れた経蔵(きょうぞう)。約5,000冊の大蔵経を収納しているそうです。

2階建ての鐘鼓楼。

庭園の向こうにある大きな建物が、法堂(大祖堂)。

仏殿の内部です。正面は御本尊の釈迦牟尼(しゃかむに)如来を、右に大権修理菩薩(だいげんしゅりぼさつ)、左に達磨(だるま)大師が祀られています。客殿を兼ねた相見の間の奥の書(適当に撮影したので途中で切れています!)は山岡鉄舟の作でした。

禅宗寺院らしい内部です。

回廊を通って

先ほど見た法堂(大祖堂)へ。

正面に開祖の瑩山(けいざん)禅師(別名常済大師)、向かって左に2代目住職の峨山(がさん)禅師(別名大現宗猷國師)、右には道元禅師を祀っています。

今年は總持寺開創700年という、節目の年だったのですね。

更に回廊を進むと、納骨堂である放光堂へ。

更に回廊を進むと

開祖の瑩山禅師の霊廟である伝燈院へ。とても厳かな雰囲気です。

2階建ての鐘鼓楼への登り口を見つけることもできました。

庭園からは、僧堂や

仏殿という立派な建物が整然と並んでいるのが見えます。

でも最後に見たのが、この「おそうじ小僧」。とても微笑ましくて、敷居が高そうだったこの寺院が、とても親しみ深く感じられました。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です