秋の青森紀行14  世界文化遺産・三内丸山遺跡(その1) とても身近なものだったお墓

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縄文時代への旅へ

2023年11月5日(日)、青森旅行もいよいよ最終日。私たちの最後の目的地は、青森市の三内丸山遺跡です(観覧料は大人410円)。

江戸時代から遺跡があると知られていた三内村に、1992年、県営野球場を建設するための事前調査が行われ、やがて大規模集落跡があることがわかり、遺跡の保存が行われるようになりました。2021年には、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として、世界遺産にも登録されています。

教科書にも載っている超有名な遺跡だけあって、入り口には「縄文時遊館」という建物があり

遺跡のジオラマで

まず全体像をつかんでから

「時遊トンネル」をくぐって遺跡ゾーンに入っていくという、面白い仕組みでした。

教科書に載っている常識が覆る? 三内丸山遺跡の墓あれこれ

遺跡に入ると、まず目につくのが、この丸くて白い小さな山。

周囲には、小さな石がやや無造作に、たくさん置かれています。

これは周囲が石で囲まれている、「環状配石墓」という墓。直径は4mほど。少し手が込んでいるので、この集落の有力者の墓とされています。これも「ストーンサークル」の一種なのだとか。

ちなみに、一般人の大人の墓は「土坑墓(どこうぼ)」と呼ばれ、楕円形の穴を掘っただけのシンプルなものですが、穴の大きさは1~2.5m。手足を伸ばして埋葬していたと考えられています(伸展葬)。

縄文時代には屈葬が一般的だった(伸展葬は弥生時代から)と、歴史の教科書に書かれていたのでこれにはびっくり! 最新の教科書でも、縄文時代=屈葬なのかな? それとも三内丸山遺跡だけなのかな?

更に面白かったのが、有力者も一般人も、大人の墓は道路を挟んで配置されていたこと。道の両側にお墓が並んでいるなんて、毎日道を歩くのは肝試し状態だと思ったのですが、ふと、古代ローマのアッピア街道にも、街道沿いにお墓があるという話を思い出しました。「お墓=怖いもの」という概念は、あまりなかったのかもしれません。

道の両側に「環状配石墓」が並び、緑の芝生やベンチがあるこの光景を見ていると、なんとなくここが「縄文時代のアッピア街道かな」と思えてくるから不思議です。

子供の墓から見える、縄文時代の過酷な現実

一方子供の遺体は、普段使っている土器の中に入れて埋葬されました。

中に丸い石が見つかる場合も多いです。

三内丸山遺跡には、出土状況がわかるように展示されている部分が多いのですが、その中には子供の墓もたくさんあります。遺跡には800基以上の子供の墓があり、特に1歳前後とみられる墓が多いとか。縄文時代の平均年齢は30歳前後だと昔聞いたことがありますが、乳幼児の死亡率が高いから短命なのかな。

食料を皆で分け合い、助け合って生活し、リーダーはいても階級や戦争がなかったと言われている縄文時代ですが、大人になるまで生き延びられるのは、生まれた子供の何割かな? 子供の墓の多さから、厳しい縄文時代の実態が伝わってきました。

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