『光る君へ』ゆかりの京都巡り5  平安時代の御所を訪ねて(前編) 2つあった大極殿跡

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やっぱり行ってみたい 平安時代の御所の跡

2024年1月27日(土)、京都に行く機会があったので、NHK大河ドラマ『光る君へ』の主要舞台の1つである、平安時代の御所の跡を探してみました。

実は先日アップロードしたばかりのこのシリーズで、「いつか見に行きたい」と書いたのですが

『光る君へ』ゆかりの京都巡り3  当時の宮中の面影を求めて京都御所へ(前編)

2024年1月26日

思いのほか早く、実現することになりました。正月早々、縁起がいいです。

大極殿跡は千本丸太町交差点

御所の跡を巡るなら、一番華麗で格式の高い建物から! ということで、国の重要な儀式が行われた大極殿(だいごくでん)跡を探しました。グーグルマップで探すと、千本丸太町通の北西にピンがあります。

なんと、交差点が大極殿跡でした。

路面もすごい!

天皇の即位や外国使節との謁見、毎年元旦に天皇が群臣の祝賀を受ける朝賀の儀などに使われた大極殿の復元図もありました。ドラマに登場する天皇たちも、ここで即位したのです。

交差点の南北の道(千本通り)は、平安京のメインストリート・朱雀大路。

大極殿を、8分の5の規模で縮小した外拝殿を持つ平安神宮は、もともとこの場所に建てる予定だったのですが、残念ながら用地買収に失敗し、岡崎の地に建てられたのでした。それにしても、とても面白くて読みやすい解説板です。シリーズになっているようなので、この解説板を読んでいけば、千本通り界隈の歴史がよくわかりそう。

平安神宮の代わりに石碑ができた

大極殿がここにあったことはわかりましたが、大河ドラマ『光る君へ』の最後に流れる紀行で見た、大きな石碑は交差点にはありません。

おかしいなと思ってグーグルマップをよく見ると、その近くにもう1つ、大極殿跡がありました。

交差点から少し北に向けて歩くと、立派な道もありました! その道を進むと、紀行で放映された大きな石碑がお出迎え。

平安遷都1,100年を記念して、1895(明治28)年に「この場所に大極殿があったと比定された」という記念碑が建立されました。平安神宮が完成したのも、この年です。広大な敷地が必要とされた平安神宮は建たなかったけれど、代わりに立派な石碑ができたのです。

ところが実際に発掘して「ここが大極殿でした」と判明したうえで建立した石碑ではなかったため(あくまでも「比定」)、戦後の発掘調査では、大極殿跡は千本丸太町交差点と判明。この立派な石碑は、大極殿の北にあった昭慶門西側回廊の上に建っているそうです。

石碑の周囲は「内野(うちの)児童公園」となっていますが、中世、荒廃してしまった平安京大内裏(だいだいり=御所+周辺の役所の建物があった官庁街)を「内野」と呼び、それがこの辺り一帯の地名となりました。

T字型の割と広い公園ですが、土曜日なのに子供の姿はなく、少し寂しい。でも藤原道長が、花山天皇の命令で肝試しで訪れた時よりは、

『光る君へ』ゆかりの京都巡り3  当時の宮中の面影を求めて京都御所へ(前編)

2024年1月26日

住宅も多く、夜でも安心して歩けそうな場所でした。

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