『光る君へ』ゆかりの京都巡り9  紫式部が祈った片山御子神社

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2023年6月下旬、紫式部や藤原道長ゆかりの場所を訪れる機会がありました。

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次にご紹介するのは、紫式部が訪れた上賀茂神社の摂社・片山御子(かたやまみこ)神社(通称片岡社)です。

茅ノ輪や七夕飾りがあった6月下旬の上賀茂神社

上賀茂神社は正式名称を賀茂別雷(かもわけいかづち)神社と言い、まだ都が奈良にあった頃から、賀茂氏が祭祀を行う強大な勢力を誇る神社でした。

平安時代になってますます国家の崇敬を集め、下鴨神社と共に山城国一宮となっています。葵祭も上賀茂・下鴨神社の祭りで、『源氏物語』など古典作品にも多く描かれています。

この日は、夏越(なごし)神事の茅ノ輪(ちのわ)が境内に設置されていました。作法通りにくぐります。

上賀茂神社と言えば、この立砂(たてずな)。祭神の賀茂別雷大神が降臨したご神体・神山(こうやま)を模したもので、盛り塩や鬼門に撒く清めの砂の起源とされているそうです。

七夕飾りもあちこちにありました。

手水舎の花も美しくて涼し気。

まずは本殿にお参りします。立派な楼門をくぐって

中門へ。

ここから本殿に向かって拝礼します。

中門の脇には奉納されたお酒が並んでいるのですが、北海道のワイン樽も奉納されているのでびっくり! 現代風ですね。

縁結びのご利益がある片山御子神社

次にお目当ての、紫式部が参拝したという片山御子神社へ。

本殿からは、御物忌川(おものいがわ)を渡った場所にあります。

片岡橋という屋根付きの立派な橋を渡ると、片山御子神社。通称片岡社です。

ここは祭神・賀茂別雷大神の母である、玉依比売命(たまよりひめのみこと)をお祀りしています。彼女は賀茂一族の中で最高の祭祀権を握っていた女性。

この社は境内に24ある摂社・末社の中で第一とされ、今でも上賀茂神社では祝詞(のりと)が奏上される前に必ず、まず片山御子神社の母神に祝詞を奏上し、「今から祭りが始まりますよ」と報告をしているのだとか。

そして紫式部は、「ほととぎす声まつほどは片岡の もりのしづくに立ちやぬれまし」という和歌を遺していることから、この神社にほととぎすが鳴く夏の頃、参拝したと思われます。ただ、彼女が何を祈ったのかはわかりません。恋愛成就だったのかな?

奉納されたたくさんの、ハート形(葵の葉の形)の絵馬が壮観でした。紫式部とほととぎす、和歌もしっかり絵馬に書かれています。

片山御子神社のご利益は、祭神が女神なので縁結び、恋愛成就、家内安全、子授け、安産と、女性が嬉しくなるものばかり。紫式部も(一般的な女性よりはかなり晩婚でしたが)結婚し、一人娘も授かりました。でも彼女が妻であった期間は短く(早くに夫を亡くす)、一夫多妻制度での結婚生活も、必ずしも幸せではなかったようです。

ただ、彼女は結婚生活など今までの人生での経験や見聞を、大長編小説として創作し発表するという、めったにない機会を与えられました。加えて、当時はとても高価だった紙や文房具類も、遠慮なく提供してもらえるようになったのです。

その素晴らしいスポンサーこそ、当時の最高権力者である藤原道長。

紫式部が藤原道長と出会えたから、『源氏物語』は誕生した。そう考えれば、片山御子神社の「縁結び」のご利益は、霊験あらたかだったと言えるでしょう。

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