平戸生まれの鄭成功とその父ゆかりの品
2024年2月24日(土)、初めて平戸を訪れた私たちは三浦按針の墓参りを終えた後、
この日最後の見学場所・松浦(まつら)史料博物館へと向かい、見どころの多い展示品に圧倒されました。
その中でも特に面白いなと思ったのが、外交関係の展示品です。
最初に展示されていたのは、平戸生まれで台湾の英雄となった鄭成功(ていせいこう)。平戸港交流広場にも、銅像が立っていました。肖像の左にあるのは、台南市から寄贈された彼の書の拓本。
こちらは鄭成功の父親で、平戸にも住んでいた中国人武装貿易商(海賊)の鄭芝龍(ていしりゅう)が
中国産生糸1斤(600g)ごとに押印した糸印(右)や、香炉と伝わる容器もありました。
キリシタン弾圧に関する展示品
今回一番驚いたのは、教科書によく紹介されている、豊臣秀吉の「伴天連追放令」の実物です。こんな形で発令されていたんですね。
伴天連(ばてれん)は宣教師(パードレ)のことで、日本が国家として初めてキリスト教禁止を天下に表明したものです。伴天連を国外追放する一方、貿易は許可。
徳川幕府の時代になると、弾圧はさらに厳しくなり(上の写真はローマにある「元和大殉教図」の複製。下の左端に、松浦家の家紋が描かれた船があります)
天正少年使節の1人、中浦ジュリアンも捕らえられて穴吊るしの刑に処せられるなど
凄惨な弾圧が続きました。
絵踏に使われた、真鍮製踏絵を平戸藩御用絵師が描いた「絵板之図」。
キリシタン密告を奨励する高札。これも教科書などで見たことがありました。
中国との貿易や
オランダとの貿易を描いた絵巻もありました。
これは出島の様子です。喫煙しているオランダ人や、日本の遊女の姿も描かれていました。
教科書に載っているあの名画の模写も!
今回驚いた展示品の1つが、この『蒙古襲来絵詞 松浦家本』です。まさかあの絵巻を、平戸で見ようとは!
よくよく解説を読んでみると、これは前回も紹介した平戸藩第9代藩主・松浦静山が模写させ入手した品。この頃原本は、絵巻に描かれた竹崎季長の子孫から名和家、天草の大矢野家に伝わっていました(明治になってから宮内庁に献上)。肥後藩主の細川氏が江戸に持ち込んだこともあり、そこで写本も描かれました。平戸も戦場になって犠牲者も出たので、松浦静山も冥福のために写本を作ったのでしょうか。
こちらも松浦静山が模写させた、小牧・長久手合戦(豊臣秀吉と徳川家康の戦い)図と
長篠合戦図屏風。知り合いの犬山城主・成瀬家から借りて模写させたとのこと。
ちなみにこの成瀬家の長篠合戦図屏風は、教科書でよく見る長篠合戦図屏風の原本とされています。模写といえどもかなりの迫力。松浦静山の並外れた好奇心と収集意欲のおかげで、平戸で思わぬ出会いを体験することができました。本当に見どころが多かったです。
コメントを残す