全島民がキリシタンだった生月島
2024年2月25日(日)、平戸島から生月島(いきつきしま)へ移動した私たちは、生月自動車観光タクシーの2時間コースで島を観光することに。
塩俵の断崖から島の北端部へ移動し、大碆鼻(おおばえはな)灯台を見学した後は、生月サンセットウェイを通っで島の南端部にある平戸町博物館・島の館へと向かいました。
この博物館の目玉の1つ・生月島の古式捕鯨に関する展示も圧巻だったのですが
2階の潜伏キリシタン関係の展示も、なかなかの見ごたえでした。
平戸藩では当初、初代藩主の松浦鎮信(まつら しげのぶ)がポルトガル貿易に対する興味もあり、キリスト教布教を許可。生月島領主がキリシタンとなり、島民に改宗を強制したため、ほぼ全島民がキリシタンになったのです。
その後の禁教令により、島民の中には殉教したり島を離れたりする人々も出ました。そして多くの島民が、潜伏キリシタン(島の館の表記では「かくれキリシタン」)になったとも言われています。
実際に使われた信仰の道具の数々
そんな彼らが、細々と守り伝えていった、展示品の数々。
メダイ(聖像が刻まれたメダル)や
十字架。
祈りの文句を記したオラショ本や
年間の祭日などを記した「お帳(バスチャン暦)」、
宗教行事の際に使う水を入れた「お水瓶」など、実際に使われた数々の品物には、歴史の重みが感じられました。
個人的に興味深かった品々
これらの展示品の中で、興味深かったのが「オテンペンシャ」。
中世ヨーロッパで苦行に使われた鞭が、お祓い道具に変化していました。麻の縄でできていますが、一文銭などを加工した十字型金属を紐の先端に付けているものもあり(左の展示品)、これは身体に当たると痛そう!
この「オマブリ」という和紙で作った魔除けも、最近見たジブリ映画『千と千尋の神隠し』で、竜のハクを追いかけた式神(紙の鳥)に似ていてびっくり!
聖母子像にもさまざまな種類があり
和風の着物を着ているけれど、頭上に十字架や天使がいたりします。見つかると大変!
これは、島の館に来る途中に道標を見た「ダンジク様」の像。
処刑された親子3人の像ですが、キリスト、マリア、ヨセフの「聖家族」の影響を受けているのだとか。ついさっき、ダンジク様のことを聞いたばかりだったので、こんなに立派な画像があると知ってびっくりしました。
かくれキリシタンの住居
そして特に興味深かったのが、昭和初期のかくれキリシタンの住居が復元された展示。
神棚や仏壇、
お大師様や
ご先祖様などと共に
納戸(なんど)に「御前様」と呼ばれるご神体(聖母子)の掛け軸が祀られていました。
キリスト教は一神教だけど、禁教期の生月島のかくれキリシタンたちは、キリスト教と神道、仏教を併存させ(融合はしていない)、それぞれを信仰の対象としていました。
生き延びて信仰を伝えるために、時にはしたたかとも思える工夫をする。彼らは踏絵も踏んだのです。
厳しい弾圧に耐えながら、信仰を守り通した人々の知恵と勇気と苦労を偲ぶことができました。
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